プロフィール

長安を訪れた時、西安碑林博物館に足を運びました。そこには林のように並ぶ石碑があり、無数の儒教の教えが刻まれていました。圧倒的に重くて冷たいその石碑を前にして、私はふと思いました。この石の壁に押しつぶされたたくさんの女性がいたのだと。

また、華々しい業績や戦争の勝利を刻んだ石碑もありました。一体どれだけの若者が自分の業績を石に刻みたいと願い、戦場に散ったのだろうかと。

「甄嬛伝」との出会い

その後、私は「甄嬛伝」という宮廷ドラマに出会いました。このドラマを通じて、中国語の歌詞とドラマの内容について深く考えるようになりました。登場人物の性格や状況にぴったりの詩や歌がドラマ内に挿入されていて、これは本当に素晴らしいと思いました。ドラマのセリフに昔習った唐詩が出てきたり、論語や孟子の出典もあったりするので、とても奥が深いと感じたのです。

歴史物語でありながら、その大筋を曲げずに、そこに様々な女性像や男性像を作り上げて感動させるところに、私は強く惹かれました。ドラマで描かれている人物は実際どんな人だったんだろうと、史実を調べてみました。ドラマの創作だったり、でもその創作が現代に問題を提起するものであったり、作者の創作によってまたドラマに新たな価値を吹き込んでいることに驚かされました。

清朝後宮ものへの閉塞感

その後、清朝の後宮ものも見るようになりました。しかし、だんだんと宮廷のドロドロ劇に飽きてきました。どんなに頑張っても、皇帝の権力には逆らうことができない。その中で醜い争いをしてただ死んでいくしかない。今の時代に生まれてよかったと思うと同時に、深い閉塞感を感じるようになりました。

それで、北京の紫禁城に実際に行ってみることにしました。行ってみて驚いたのは、後宮が意外に狭かったことです。後宮で華やかな暮らしをしていたのは、ごく一部の人だけで、ほとんどの女性たちはパーソナルスペースもないような狭いところでひしめき合っていたでしょう。これなら、妬み嫉み足の引っ張り合いは当然あっただろうなと、妙に納得しました。

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「燕雲台」が変えた私の世界史観

そんな後宮ものに食傷気味だった私にとって、新鮮に感じたのがドラマ「燕雲台」です。舞台が遼なので、漢民族とは全く違う感覚の中で生きている女性たちが描かれています。女性が強く、夫亡き後はその軍隊を率いて戦っていく姿に、私は衝撃を受けました。

また、このドラマをきっかけに、私の世界史観が変わりました。今までは中国史を王朝の攻防という感覚で見ていたのですが、漢民族と遊牧民族の対決という観点で見るようになったのです。そういえば、元や清は漢民族を北方遊牧民族が支配していた国だったんですね。

燕雲台が北方遊牧民族を主人公にしているなら、同時代の漢民族はどうであったのかと思い、北宋を扱ったドラマ「大宋宮詞」も見ました。遼の蕭燕燕と宋の劉娥はほぼ同時代の女性で、二人とも政治的に優秀な人なのに、評価が全く違うことに驚きました。中国における儒教の強さを、改めて痛感しました。

再び思い出す西安碑林博物館

そして、私はまた西安碑林博物館のことを思い出しました。あの林のように並ぶ重くて冷たい石碑。この石の壁に押しつぶされたたくさんの女性がいたのだと。

史実と創作の間で

いろいろ調べていくうちに、史実と創作の間について考えるようになっていたところ、

三国機密というドラマで「歴史には書いた人の作為がある」という言葉にハッとしました。

また「歴史は勝者によって作られる」という言葉にもハッとしました。

史実だと思って調べていたものは、じつは書いた人の作為によるものではないかと。

若者は、歴史に名を刻みたいと切望しているのに。

歴史の闇に葬られた事実といえば、私の高校の先生は川島芳子さんが馬で女学校に通っていたのを見ていたそうです。

そんなわけで、川島芳子を偲ぶ会のメンバーに会うこともできました。今の状況だと、その辺りの歴史も歪曲されてしまうのではないかと、私は危惧しています。

最後に

私は中国ドラマが好きです。それは単なる娯楽ではなく、歴史を学び、考えること。現代への教訓を得ることです。

石碑に刻まれた儒教の教えの影で生きた女性たちに想いを寄せ、

そして歴史に名を刻むことを切望する青年たちの叫びが聞こえてくるからです