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歴史とフィクションの境界線を問うドラマ『Secret of Three Kingdoms』

馬伯庸の革新的な三国志解釈

テレビドラマ『Secret of Three Kingdoms』は、馬伯庸の小説『三国機密之潜龍在淵』(三国志の秘密~深淵に潜む龍)をもとに制作された作品です。このドラマは、我々が「歴史的事実」として受け入れてきたものに対して、根本的な疑問を投げかけます。

献帝双子説という大胆な設定

物語の核心となるのは、後漢最後の皇帝である献帝が双子であり、実際の献帝が死亡した後、もう一人の双子「龍平」が献帝に成り代わるという設定です。龍平は成り代わる前、司馬懿と兄弟のように一緒に育ったという背景が描かれています。

最初にこの設定を知った時、私は強い違和感を覚えました。「献帝が双子などという、有名な歴史ドラマにフィクションを入れてはならない」と考えていたのです。しかし、このドラマを見進めるうちに、その考えは根本から覆されることになりました。

「歴史はペテンだ」という衝撃的なメッセージ

ドラマの中で賈詡が郭嘉に向かって放つ言葉は、視聴者の心に深く刻まれます。

「歴史はペテンだ。時代のために本当に隠さなくてはならない秘密は、永遠に闇に葬りさられる。あなたが書いた物が、歴史となり、そして後世の人々はそれを読む事を渇望しているだけだ。」

この台詞は、我々が「史実」として信じているものの正体を鋭く突いています。史書は真実を語らず、時代のために葬り去られる秘密があり、ただ書き残されたものだけが後世に残る——この視点は、歴史に対する我々の認識を根本から問い直させます。

私たちが知る「歴史」は本当に真実なのか

このドラマを通じて、私は一つの可能性に気づきました。私たちが「史実」だと思っているものは、もしかしたら誰かが書き換えたり、隠したり、付け加えたり、新たに創作したものかもしれないということです。

特に権力者によって書かれた歴史書は、その時代の政治的意図や都合によって真実が歪められている可能性があります。勝者が歴史を書くという言葉があるように、敗者の視点や不都合な真実は消し去られがちです。

献帝の性格変化に隠された真実?

実際の三国志を読み返してみると、興味深い事実に気づきます。前半の献帝は、漢王朝を途絶えさせぬため長安を脱出し洛陽に向かう際、船に乗れる人数が限られているという状況で、必死に船縁に手をかけて乗り込もうとするお供の者の指を切り落として乗船を拒否するという冷酷な一面を見せています。

しかし後半の献帝は、まるで人が変わったかのように優しく、曹操の娘でさえ最後まで仕えたいと思うような人格者として描かれています。この劇的な性格の変化は、単なる成長や環境の変化だけでは説明がつかないほど極端です。

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永遠の謎が生む新たな可能性

この献帝の性格変化は永遠の謎として残されていますが、もしかしたら馬伯庸はここからヒントを得たのかもしれません。史書に記された矛盾や説明のつかない変化こそが、隠された真実への入り口なのかもしれないのです。

歴史ドラマが持つ新たな使命

『Secret of Three Kingdoms』は、単なる娯楽作品を超えて、歴史そのものの本質について深く考えさせる作品です。フィクションという形を取りながら、実は歴史の真実に最も近づいているかもしれません。

我々は「正史」を絶対的な真実として受け入れがちですが、このドラマは「もしかしたら」という可能性の扉を開いてくれます。歴史とフィクションの境界線は、私たちが思っているよりもはるかに曖昧で、複雑なものなのかもしれません。


歴史は勝者によって書かれる。しかし、真実は必ずしも勝者の手にあるとは限らない。『Secret of Three Kingdoms』は、そんな可能性を訴えていると思います。

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