「潜龍在淵」とは何か
「潜龍在淵(潜龍は淵に在り)」は、中国古典の『易経』に由来する言葉で、まだ世に出ていない優れた人物や、その時を待つ賢者の状態を表現しています。
潜龍の徳とは
徳を身に有していながら自ら隠れている人物。
その名声が世に知れ渡ることも求めない。
世の人にあの人は正しいとか立派であるとか評価されなくても苦しまない。
道の行われる世(天から求められる、人々に望まれる時には)、
その道を行うが、そうではない時には、あえて避けて行わない。
そのような人物を、潜龍の徳があるという。
『Secret of Three Kingdoms』における潜龍
ドラマでは、この概念が劇中で重要な意味を持ちます。董承の反乱失敗後のエピソードです。
董承の反乱は表面上失敗に終わりましたが、実はこれはわざと情報を漏らして満寵の疑いをそらし、楊修を曹操の内部に送り込むための策略でした。しかし、この作戦には大きな犠牲が伴いました。
董承は長安からの逃避行にずっとついてきてくれた漢王朝の重臣であり、また娘の董妃は皇帝の子供を身籠っていました。それを切り捨てて「漢王朝のため」だという伏寿らの陰謀は、あまりにも冷酷で受け入れられないものでした。
龍平は、このような犠牲を払わなければならないのなら「皇帝を辞めてやる」と言って出ていきます。
伏寿の言葉に込められた意味
その時の伏寿の言葉が、「潜龍在淵」の本質を表現しています:
「潜龍」はまだ世に出ていない君子、あるいは位に就いていない天子を表します。ここでは、龍平を指します。
龍が「淵に在る」のは:
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- 天に飛翔する機を窺っている状態
- 潜るか飛躍するか定まらない状態
- 上ろうとしているのか、下ろうとしているのか
- 進もうとしているのか、退こうとしているのか
- 行動が一定しない状態
龍平が「皇帝をやめてやる」と言っているのは、まさにこの定まらない状態なのだと伏寿は理解しているのです。これは迷いや弱さではなく、然るべき時になったら大きく飛躍するための修行の期間だと。
時を待つ龍の智慧
「潜龍在淵 腾必九天(潜龍は淵に在り、必ずや天高く昇る)」
龍は然るべき時が来れば、雲を呼び必ずや天に昇ります。しかし、まだ今は躍り上がらず淵に潜んでいる。淵に潜み隠れている龍であるから、まだその才徳を顕にすべき時ではないのだと。
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