蕭烏骨里の史実
萧夷懒 (蕭烏骨里 )は遼の北府宰相・蕭思温の次女で、蕭燕燕の妹。
景宗は謀反を企てた耶律喜隐を赦免し、宋王(趙王ともいう)とし、蕭烏骨里 と結婚させました。
蕭烏骨里はたいそう美人であったようで、その血筋の良さと美貌で耶律喜隐を満足させ、
再び反乱を起こさないようにするためでした。
しかし、耶律喜隐は再び陰謀を企て、最終的に息子の耶律留礼寿とともに処刑されました。
その後夫と息子を失った蕭烏骨里 は景宗と蕭燕燕を深く憎むようになりました。
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蕭烏骨里の最後はドラマと中国と遼とで記述が違う
1003年、李信という契丹の役人が宋に報告したところによると、
蕭烏骨里 は夫と息子の死後、蕭燕燕を毒殺しようとしたが、
逆に奴隷の娘に糾弾され、
蕭燕燕は毒入りの酒で彼女を殺したという。
ドラマ燕雲台では、自分で毒をあおったのですが、蕭燕燕に飲まされたそうです。
『遼史』によれば、1006年5月、蕭烏骨里 は幽閉され、その後どうなったかわからない。
そして、残りの一行は生き埋めにされたそうです。