> ※この記事は、私の遼(契丹)シリーズの一篇です。ドラマ『燕雲台』で強い印象を残す皇族・耶律罨撒葛。けれど史書をひらくと、まるで違う人物像が立ちあがります。シリーズで西太后や果郡王の「ドラマの顔」を史実から剥がしてきたように(→「[西太后はいかにして台頭したか]」「[果郡王允礼の実像]」)、ここでも一人の皇族の実像に迫ります。彼の妻は、[蕭燕燕]の姉でした。
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ドラマの「鉄の男」と、史実の落差
ドラマ『燕雲台』をご覧になった方なら、甘言を弄し策を巡らせながら、妻への深い愛だけは本物だった——あの耶律罨撒葛(やりつ あんさつかつ)の印象が、強く残っているのではないでしょうか。けれど歴史の記録をたどると、そこにはまったく別の人物が浮かびます。皇帝になれたはずの、しかし兄の猜疑に翻弄されて消えていった、悲劇の皇族です。
華々しい出発点
耶律罨撒葛は934年、遼の太宗・耶律徳光の次男として生まれました。上京臨潢府(現在の内モンゴル・巴林左旗)で皇族として育ち、わずか五歳で太平王に封じられるという、輝かしい出発を切ります。
– 生没年:934〜972年(享年39)
– 父:遼太宗・耶律徳光
– 母:靖安皇后・蕭温
– 妻:蕭胡輦(しょうこれん)——北府宰相・蕭思温の長女
兄の穆宗(耶律璟)が即位すると、罨撒葛は国政を委ねられる重責を担いました。太宗の血を引く皇子として、申し分のない地位です。しかし、ここから人生が暗転します。
> 妻は、姉の姉——そして「姪」でもあった 妻の蕭胡輦は、蕭思温の長女。じつは[蕭燕燕](蕭綽)の、いちばん上の姉にあたります。三姉妹の末が景宗の皇后・燕燕、長が罨撒葛の妃・胡輦、というわけです。さらにややこしいのは、姉妹の母が太宗の娘・呂不古(燕国公主)だったこと。
つまり胡輦の母は罨撒葛の姉妹で、胡輦は罨撒葛にとって妻であると同時に、姪(母方の)でもあったのです。世代を越えたこの縁組は「舅甥婚(きゅうせいこん)」——母方のおじ(舅)と姪の結婚——と呼ばれます。契丹皇室と蕭氏が何重にも結びついた、その濃密な姻戚網のただ中に、罨撒葛はいました。
占いが、身を滅ぼす
穆宗は治世の後半になると、暴虐と猜疑をつのらせ、まともに政治に向き合わなくなります(→「[遼穆宗・耶律璟]」)。国政を任されていた罨撒葛の胸には、しだいに不満が積もっていきました。
そして応暦三年(953年)十月。罨撒葛は、謀反すべきか否かを、占いで占ったのです。決断を、自分の意志ではなく、天の兆しに委ねようとした。
ところが、このことが穆宗の耳に入ってしまいます。反乱を企てたとして捕らえられ、翌954年正月にいったん赦されると、西北の辺境守備という名目で——実質は左遷で——草原の果てへ送られました。与えられた兵はわずか千に満たず。彼はこの地で、十数年もの歳月を過ごすことになります。
赦免、そして早すぎる死
969年、甥の景宗・耶律賢が即位します(→「[耶律賢(景宗)]」)。罨撒葛ははじめ、罰を恐れて沙陀の地へ逃げました。けれど召し返され、前罪を赦されて、斉王に封じられます。
とはいえ、復権とは名ばかり。彼は長く厳しい監視のもとに置かれ続けました。そして保寧四年(972年)閏二月、疽(そ。悪性のできもの)を患って世を去ります。享年三十九。長年の辺境暮らしと、復権後もなお解けなかった抑圧が、その心身を蝕んでいたのでしょう。
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死の翌月、彼には皇太叔(こうたいしゅく)の位が追贈され、「欽靖(きんせい)」という諡(おくりな)が贈られました。「欽靖」は、慎み深く安寧をもたらす、の意。この諡には、彼の不遇への、ささやかな同情がにじんでいるようにも思えます。なお史書には、彼の子についての記録は残っていません。
ドラマと史実——あまりに違う
ドラマ『燕雲台』の罨撒葛は、こう描かれます。
– 義父の暗殺、主君の暗殺未遂など、たびたび陰謀を企てる冷酷な野心家
– 最後は蕭燕燕の子を毒殺した罪で賜死
– 臨終の間際、妻・蕭胡輦との恋情が強調される——「鉄の男に秘めた情熱」
史実との主な違いは、次の三点です。
① 死因。 ドラマは賜死(処刑)。史実は病死(疽)。
② 対立の相手。 ドラマでは蕭燕燕や景宗と対立する悪役。史実で彼が背こうとした相手は、あくまで兄の穆宗ただ一人。失敗のあとは再起していません。景宗・蕭燕燕と直接対立した記録も、彼らに殺された経緯も、史書にはありません。
③ 人物像。 ドラマは「秘めた情熱を持つ複雑な野心家」。史実は、時代と兄の猜疑に翻弄された、むしろ受け身の人でした。
私の見立て——敗者の声と、「占い」という落とし穴
史実の罨撒葛は、ドラマのような策謀家ではなく、順当にいけば皇帝になっていたかもしれない人でした。太宗の次男に生まれ、国政を委ねられ、けれど一度の迷いから十数年を辺境で失い、赦されてなお監視され、三十九で病に斃れる。その胸のうちを思うと、胸が痛みます。
ここで、シリーズの糸が一本つながります。罨撒葛を破滅させたのは、ほかでもない占いでした。謀反すべきか——人生最大の決断を、彼は自分の意志ではなく、天の兆しに預けようとした。その占いが漏れて、すべてを失った。
これは、シリーズで読んだ[尉繚]の言葉、「天官時日は、人事に如かず(天の巡りや吉日選びなど、人の働きには及ばない)」の、悲しい裏返しです。尉繚は「天命に頼るな、人が動かせ」と言い切って秦を勝たせた。罨撒葛は、その逆をいって身を滅ぼした。運命を天に問うた瞬間に、彼は自分の運命を手放してしまった——そう読むと、この皇族の悲劇は、ぐっと普遍的な顔をしてきます。
そして最後に、ドラマのこと。『燕雲台』は蕭燕燕を主人公とし、語りの立場はおおむね正史(『遼史』)と同じく、勝者の側に立っています。だから本来、罨撒葛や蕭胡輦の出番は、史書ではごくわずかなはずでした。それを脚色とはいえ、これほど濃い陰影をもって蘇らせた。勝者の物語を書きながら、作者の心には、消えていった敗者の声が聞こえていたのかもしれません。史実を歪めたフィクションを、私はただ責める気になれません。記録に残らなかった者へ、もう一度、声と情を与え直す——それもまた、物語にできる、ひとつの弔いなのだと思うからです。
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