ミーユエ 王朝を照らす月
-
『詩経』蒹葭 現代語訳と解説|「所謂伊人、在水一方」が描く2500年前の恋心
「所謂伊人、在水一方(想い人は、水の向こうに)」――この一節を、どこかで耳にしたことはないでしょうか。中国ドラマや歌の歌詞にもしばしば顔を出すこの言葉は、今から…
-
【混同注意】もう一人の孟嬴公主―春秋時代、美貌が招いた悲劇の生涯
同じ名前、違う時代、異なる運命 「孟嬴」という名前を聞いて、あなたは何を思い浮かべますか? 中国ドラマ『ミーユエ』に登場する戦国時代の孟嬴? 実は、それより約2…
-
鼎の軽重を問う——九鼎と、秦がぶっ壊した周の礼楽
九鼎という、二千年語り継がれた天命のシンボルを、秦は文字どおり物理的に奪い、王が持ち上げようとして死に、最後はそれを川に沈めてしまう。周が築いた「徳と礼楽」の世…
-
秦の魏冉Wèi Rǎnはなぜ失脚したのか?権力の絶頂から転落した宰相の栄枯盛衰
秦の歴史を動かした外戚・魏冉 戦国時代の秦において、4度も宰相の座に就いた男がいました。その名は魏冉(ぎぜん)。秦の宣太后の弟であり、昭襄王の母方の叔父という外…
-
ドラマ『芈月伝』の宣太后は実は下品だった?側室最低位からの成り上がり
芈月(ミーユエ)の本当の出自 中国ドラマ『ミーユエ〜王朝を照らす月〜』で優雅な王女として描かれた芈月(宣太后)。しかし、歴史上の彼女の実像は、ドラマとは大きく異…
-
張儀の連横策とは?戦国時代を動かした外交戦略 利益で誘惑、脅迫
戦国時代の秦が六国を制覇する過程で、武力だけでなく巧みな外交戦略が大きな役割を果たしました。その中心人物が張儀です。彼が展開した「連横策」は、敵対する国々の同盟…
-
甘茂(かんも)~秦国左丞相から異国の地へ追放された智将の生涯~
戦国時代中期、秦の強国化を支えた一人の名将がいました。その名は甘茂。 左丞相にまで上り詰め、智勇兼備の武将として名を馳せながらも、最後は異国の地で失意のうちに生…
-
秦武王・嬴蕩は「鼎を持ち上げて死んだバカ王」か?——4年で統一の礎を築いた改革者|ミーユエ
※「鼎つながり」の一本です。楚の荘王は周の使者に九鼎の「軽重を問う」て天命に手を伸ばし、「[在徳不在鼎(徳に在りて鼎に在らず)]」とたしなめられました。ところが…
-
【ミーユエ 王朝を照らす月】宣太后と義渠王、30年の愛は本物だったのか|史実とドラマの違い
宣太后・芈月と義渠王の30年に及ぶ壮大な謀略 中国史上初めて「太后」の称号を得た女性、宣太后・芈月。 彼女が仕掛けた30年越しの壮大な計略は、一つの国家を滅ぼし…
-
公孫衍Gōng Sūn Yǎn(こうそんえん)の史実 ドラマ『ミーユエ王朝を照らす月The Legend of Mi Yue』
公孫衍は実在した 中国ドラマ『ミーユエ』に出てくる公孫衍は、張儀とはりあって結局秦を出ていき、外交戦略をたてます。 公孫衍と張儀の外交政策が激突することになりま…
-
「季君の乱」の史実 ドラマ『ミーユエ』に描かれた秦の王位継承争い
紀元前307年、秦の武王が鼎を持ち上げる際の事故で突然死去しました。 後継者がいなかったため、激しい王位継承争いが勃発しました。 主な候補者は、恵文王の庶長子で…
-
【ミーユエ】孟嬴は実在した!?史実とドラマの驚きの違いとは
悲劇のヒロイン・孟嬴の正体に迫る 中国の歴史ドラマ『ミーユエ 王朝を照らす月』を見た方なら、孟嬴の悲しい運命と彼女をおくりださねばならない父王の表情に心を打たれ…