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飛龍在天——曹操が認めた「真の皇帝」と、天地人の理想【三国機密31話】

> ※この記事は、ドラマ『三国機密』の「飛龍在天(ひりゅうざいてん)」をめぐる二つの名場面——軍師・賈詡(かく)が皇帝の未来を予言する場面と、31話でその予言が成就し、あの“奸雄”曹操が皇帝・劉平(りゅうへい=物語の身代わりの天子)を心から「陛下」と認める場面——を、ひと続きに読みます。その一言に、易経・孟子・楚荘王の理想が、まるごと畳み込まれていました。まず、龍が天に昇ると見抜いた、賈詡の予言から。

> ※先に、「史実」と「ドラマ」の線引きを この記事で”本物の史実(古典)”なのは、ドラマが引用している三つの古典——易経の乾卦(飛龍在天)・孟子の天地人・楚荘王の七徳の武(左伝)だけです。いっぽう、賈詡が皇帝の未来を予言する場面も、曹操が皇帝を「飛龍在天」と認める対峙も、そもそも「劉平」という主人公(=献帝の身代わりに立てられた双子、という設定)も、すべてドラマ『三国機密』の創作です。賈詡・郭嘉・曹操・献帝劉協は実在しますが、こんなやりとりが史実にあったわけではありません。そして史実の献帝は、最後まで実権を持てぬ傀儡で、やがて曹丕に位を譲ります(その生涯は→「[漢献帝劉協]」)。——というわけで、ここから先は、本物の古典を下敷きにドラマが描いた”理想の物語”として、お楽しみください。

賈詡の予言——「蛟龍が水を得て、飛龍になるぞ」

物語のもっと早い段階で、この「飛龍在天」を、ぴたりと予言していた男がいます。曹操の懐刀にして稀代の軍師、賈詡(かく/賈文和)。彼は、同じく曹操の智嚢・郭嘉(かくか)に向かって、皇帝・劉平についてこう語ります。

> みずち(蛟龍)が水を得て、天を飛ぶ龍になるぞ。……君は、それが怖くないのかね。(你就不怕蛟龍入海、飛龍在天……飛龍在天、會引得風雷雲動)

ここには、易経の龍が、みごとに三段階で織り込まれています。

第一段——蛟龍(こうりゅう)、水を得る。蛟龍とは、水中にひそむ龍の子。雲雨に会えば天に昇って真の龍になる、とされる想像上の生き物です(「[易経・乾卦の龍]」で触れた、跳ぶ前の「潜龍・或躍在淵」の段階にあたります)。まだ傀儡(かいらい)にすぎない劉平の中に、賈詡は「水さえ得れば昇る龍の子」を見抜いた。

第二段——飛龍、天に在り。得た力で天を翔ける、真の天子への変貌。

第三段——風雷雲動。龍が昇れば、雲が湧き、風雷が動く。一人の龍の覚醒が、天下全体を揺るがす、という予言です。

おもしろいのは、これを語るのが、敵側(曹操陣営)の軍師だということ。しかも郭嘉の返しが、また彼ららしい。恐れるどころか——

> 私も見てみたい。この賈文和が見込んだ皇帝が、どんな驚天動地(きょうてんどうち)を成すのかを。

怖がる賈詡と、面白がる郭嘉。二人の名軍師の気性の違いが、この短いやりとりに出ています。そして二人とも、無力なはずの傀儡皇帝の中に、天に昇る龍の芽を、はっきり見ていた。——さて、この予言は、成就するのでしょうか。

「飛龍、天に在り」——曹操の、心からの一言(予言の、成就)

これまで曹操は、幼く無力な皇帝を見るうちに、「果たして、ここまでして守る価値があるのか」という疑念を深めていました。だから新しい皇帝・劉平に対しても、すぐには対面せず、遠くからその器を見極めようとしていた。——そんな曹操が、ついに劉平と向き合い、こう言うのです。

> 「天に昇る龍であられる陛下に、お目にかかれた。臣にとって、この上ない幸せです。」(能見得陛下飛龍在天、是臣之幸)

「飛龍在天」は、『易経』の乾卦(けんか)から来た言葉です。乾卦は、龍の成長を六つの段階で描きます——水に潜む「潜龍(せんりゅう)」から、地に現れる「見龍(けんりゅう)」を経て、ついに天高く舞い上がり、真の力を発揮する「飛龍在天」へ。

この第五段階「九五(きゅうご)」こそ、まさに皇帝の位(九五之尊)を指します(龍の六段階の全体は→「[易経・乾卦の龍]」。易経はこのブログの[鼎]や[桐葉封弟]にも顔を出します)。賈詡が予言した「蛟龍→飛龍」が、ここでついに現実になった——曹操が劉平を「飛龍在天」と呼んだのは、「あなたこそ、天に昇るべき、本物の皇帝だ」と、長年の疑念に自ら答えを出し、認めた瞬間だったのです。

天地人——劉平の「人の和」、曹操の「天の時・地の利」

この対峙が明かしたのは、単純な勝者と敗者の関係ではありませんでした。古来、中国で重んじられた「天の時・地の利・人の和」——孟子の言う「天の時は地の利に如かず、地の利は人の和に如かず」——その三要素が、二人の運命を映していたのです。

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劉平(漢王朝)が持っていたのは、「人の和」。民の支持、正統な血筋への信頼、仁徳による人心の掌握。

一方、曹操が握っていたのは、「天の時・地の利」。時代の流れに乗る政治手腕、戦略的な領土支配、圧倒的な軍事力と経済力。

——ここから、劉平は大切なことに気づきます。どちらか一方だけでは、本当の天下統一はできない。劉平の「人の和」と、曹操の「天の時・地の利」が、手を結んでこそ、はじめて世は治まるのだ、と。

七徳の武——じつは、楚荘王の理想

劉平が曹操に協力を求めた背景には、「七徳の武(しちとくのぶ)」という理想がありました。武とは、ただ敵を倒す力ではなく、七つの徳を実現するためにこそある、という考えです。

> 暴を禁じ(禁暴)、戦をやめ(戢兵)、大国を保ち(保大)、功を定め(定功)、民を安んじ(安民)、衆を和ませ(和衆)、財を豊かにする(豊財)。

——じつはこれ、このブログで前に書いた、楚の荘王の言葉そのものなのです(→「[止戈為武]」)。春秋時代、晋を破った荘王が、勝利に驕る部下をいさめて語った「武の七徳」。「戈(ほこ)を止めるを、武と為す」——本当の武とは、戦いを終わらせ、民を安んじることだ、という理想です。劉平が掲げたこの七徳を実現するには、彼の「人の和」だけでは足りない。曹操の実務能力と統治技術が、どうしても必要だったのです。理想(仁)と実力(武)は、ここでも、手を取り合わねばならなかった。

私の見立て——希望の頂点に、すでに影がある

この場面は、とても美しい。力で地位を奪うのではなく、その資質によって、相手から自然に認められる——劉平は、曹操という最強の懐疑者を納得させることで、ついに「飛龍在天」として天に昇った。そして曹操もまた、久しぶりに「心から仕える価値のある皇帝」に出会い、漢への忠誠を取り戻した。“奸雄”一色ではない、本物を求め続けた曹操の姿が、ここにあります(この複雑な曹操については→「[歴史は勝者が書く]」「[蒿里行]」)。

 

けれど——乾卦の、次の一段 易経の乾卦で、「飛龍在天(九五)」のすぐ次の段階は、「亢龍有悔(こうりゅうゆうかい)」——昇りつめすぎた龍は、いずれ悔いる——なのです。頂点の絶頂は、転落の影とすぐ隣り合わせ。そして、私たちは知っています。この希望に満ちた承認のあとも、結局、漢は救われなかった。同じドラマの別の場面で、老宦官・張宇は「陛下はどこに」と慟哭し、本当の天子は名もなき土に消えていく(→「[陛下はどこに(采薇)]」)。31話の「飛龍在天」は、このドラマの希望の頂点。けれどその頂点の一段先には、もう「亢龍有悔」の影が差している。曹操が認めた飛龍は、束の間しか、天にいられなかったのです。希望と絶望、その両方を描いたところに、このドラマの深さがあります。

まとめ——力と仁は、手を結べるか

「飛龍在天」が問いかけるのは、二千年たっても古びない問いです。真の指導者とは、力で地位をもぎ取る者ではなく、その資質ゆえに、人から自然に認められる者なのではないか。そして——天の時も、地の利も、人の和も、どれか一つでは足りない。理想(仁)と実力(武)は、いがみ合うのではなく、手を結ばねばならない。劉平と曹操が、束の間でも見せたその可能性は、たとえ歴史の現実が裏切ったとしても、人が国というものに託し続けてきた、いちばん高い理想だったのだと思います。飛龍は、たしかに一度、天に昇ったのです——ただし、ドラマの中で。

最後に、史実に戻しておきます。本物の献帝・劉協には、こんな「飛龍在天」の承認は訪れませんでした。彼は最後まで実権を持てず、やがて曹丕に位を譲り、山陽公として——皇帝ではなく、一人の医者として生きます(→「[漢献帝劉協]」「[潜龍在淵(龍を降りた劉協)]」)。ドラマが描いた”天に昇る飛龍”の光と、史実の”龍を降りて地に生きた”静けさ。その両方を並べて知ると、この場面の美しさは、いっそう胸に沁みてくるのだと思います。

◀ 三国機密クラスタ:[陛下はどこに(采薇・希望の先の影)] | [漢献帝劉協] | [天地不仁(仁と乱世)] | [曹丕] | [歴史は勝者が書く] | [蒿里行]
◀ 龍の理論と対の運命:[易経・乾卦の龍(潜龍→飛龍→亢龍)] | [潜龍在淵(龍を降りた劉協)]
◀ 理想の出どころ:[止戈為武(楚荘王の七徳の武)] | [鼎の軽重を問う(易経・楚荘王)] | [桐葉封弟(易経)]
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