> ※この記事は、ちょっとしたトリビアです。安慶緒や沈珍珠を生んだドラマ『麗王別姫』——そのタイトルそのものに、ささやかな謎が隠れています。
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「麗王別姫」を調べても、出てこない
中国の人気時代劇『大唐栄耀(だいとうえいよう)』が日本で放送されたとき、『麗王別姫〜花散る永遠の愛〜』という邦題がつきました。沈珍珠(→「[沈珍珠]」)と広平王・李俶(りしゅく)の悲恋を描く、唐代の宮廷ロマンスです。
ところが——この「麗王別姫」という言葉、いくら調べても、中国の歴史や文学に出典が見当たらないのです(検索すると、なぜかホテルの名前ばかり出てきます)。「麗王」という王も、中国史にはいません。この不思議なタイトルは、どこから来たのでしょうか。
答えは、「覇王別姫」のもじり
答えは、ほぼ間違いなく、有名な「覇王別姫(はおうべっき)」のもじりです。
「覇王別姫」は、京劇の名作であり、世界的な映画(1993年)の題名にもなった、誰もが知る四文字。それを下敷きに、「覇(武力で覇を唱える王)」を「麗(美しい王)」に一字だけ替えて、唐の華やかな宮廷の悲恋にふさわしい題にした——そういう日本版の造語だと考えられます。「麗王」とは、おそらく美男の主役・李俶(広平王、のちの代宗)のこと。武力と権力を示す「覇王」を、優美さを示す「麗王」に替えることで、唐の雅やかな悲恋のイメージを、日本の視聴者に伝えようとした——翻訳者の、なかなか粋な工夫だったのでしょう。
では、その下敷きになった「覇王別姫」とは、どんな物語なのでしょう。
本家「覇王別姫」——項羽と虞姫
「覇王」とは、紀元前三世紀末、秦の滅亡後に「西楚の覇王」を名乗った項羽(こうう)のことです。中国史上もっとも伝説的な武将の一人。けれど彼は、最後に劉邦(りゅうほう=のちの漢の高祖)に敗れます。
物語の舞台は、紀元前202年の垓下(がいか)の戦い。劉邦の名将・韓信に完全に包囲され、兵も食料も尽きた絶望の夜、項羽は、四方から聞こえてくる楚の歌声に愕然とします。「楚は、もう敵に降ったのか」——味方の士気は、これで完全に崩れました(これが「四面楚歌」の由来です)。
その夜、項羽は愛する側室・虞姫(ぐき=虞美人)と別れの酒を酌み交わし、胸を打つ歌を詠みました。
> 力は山を抜き、気は世を蓋(おお)う
> 時に利あらず、騅(すい)の逝かざるを
> 騅の逝かざる、奈何(いかん)すべき
> 虞や虞や、若(なんじ)を奈何(いかん)せん
> (力拔山兮氣蓋世/時不利兮騅不逝/騅不逝兮可奈何/虞兮虞兮奈若何)
——わが力は山をも引き抜き、わが気迫は天下を覆うほどだった。なのに今や時の運は尽き、愛馬の騅さえ動こうとしない。それを、私はどうすることもできない。ああ虞よ、虞よ、お前を、これからどうしてやればいいのか。
この歌を聞いた虞姫は、自分が項羽の足手まといになることを恐れ、剣を取って、自ら命を絶ちました。愛する人を逃がすために、女が先に死ぬ——二千年以上、人の心を打ち続けてきた、もっとも美しく悲しい別れです。
私の見立て——「別姫」は、繰り返される
面白いのは、この「覇王別姫」の構造が、時代を超えて、何度も借りられることです。「強い(あるいは美しい)男が、愛する姫に、死の別れを告げる」——この型は、項羽と虞姫から、唐の李俶(麗王)と沈珍珠へ、そして日本の視聴者の胸へと、二千年を超えて受け継がれていく。日本版の名づけ親は、その古い型の力を知っていて、『麗王別姫』という四文字に、借りてきたのです。よく出来た悲劇は、新しい物語に、その骨格を貸し続ける——「[草原の狼信仰]」で見た「物語の型」の話と、じつは地続きです。
> おまけ——項羽の宿敵が、次に出会う相手 もう一つ、シリーズとつながる糸を。項羽を破った劉邦(漢の高祖)は、漢を建てたあと、こんどは北の草原で、匈奴の[冒頓単于]に白登山で七日間包囲され、屈辱の和親を強いられます。つまり「覇王別姫」は、私の「草原の帝国」シリーズの、ちょうど一つ手前の物語。項羽を倒した男が、次は草原の覇者に頭を下げる——歴史は、こんなふうに、思わぬところで手をつないでいるのです。
まとめ
『麗王別姫』は、中国の古典に由来する言葉ではなく、日本での放送に際して作られた造語である可能性が高い。けれどその背後には、二千年以上前から語り継がれてきた「覇王別姫」——項羽と虞姫の、壮大で悲しい愛の物語が、静かに横たわっています。一つのタイトルの謎を解くだけで、唐の宮廷から、秦末の垓下まで、二千年が一本につながる。これも、歴史を読む小さな楽しみの一つです。
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