はじめに
中国の歴史ドラマを見ていると、
しばしば史実とフィクションが絶妙に織り交ぜられていることに気づきます。
今回取り上げる沈珍珠(ちんしんじゅ)もそんな人物の一人です。
唐の時代を生きた一人の女性の数奇な運命を、
史実とドラマの違いを交えながら紹介していきたいと思います。
沈珍珠という女性
出自と生い立ち
沈珍珠(726年~?)は、現在の浙江省湖州市にあたる呉興出身の漢民族でした。
名門の出身で、伯父は唐の名高い書法家、父親は高級官僚という恵まれた家庭環境で育ちました。
代々役人を輩出する名家の生まれで、
身長が高く肌の白い美しい女性だったと記録されています。
良家の娘として選ばれた沈珍珠は、皇長孫である李俶(りしゅく)に嫁ぎました。
これが彼女の運命の始まりでした。
李适の出産時期の謎
742年、沈珍珠は広平王李俶との間に李适(りてき、後の唐徳宗)を産みました。
ここで興味深いのは、史実とドラマでの描写の違いです。
史実では:742年に李适を出産
ドラマでは:安禄山の乱の最中に李适を出産
この違いは物語の緊張感を高める演出として使われているようです。
実際には、安史の乱が始まる14年も前に李适は生まれていたのです。
安史の乱と運命の転換
反乱軍に捕らえられる
756年、安禄山が反乱を起こして長安に迫った時、
唐玄宗は楊貴妃と共に皇族を連れて逃亡しました。
しかし、すべての皇族が間に合ったわけではありません。
沈珍珠を含む一部の皇族は逃げ遅れ、
安史の反乱軍に捕らえられて洛陽に囚われることとなりました。
ドラマでの安慶緒との関係
ドラマでは、安慶緒(あんけいしょ)が沈珍珠に恋心を抱くという設定が加えられています。
ドラマの描写:
- 隠れていた沈珍珠を安慶緒が発見
- 安慶緒は沈珍珠と一緒になりたいと願う
- 父親の安禄山は許さず、沈珍珠を処刑しようとする
- 安慶緒が沈珍珠を救う
- 安禄山が沈珍珠を夜伽にしようとしたことが、安慶緒が父を殺す理由の一つとなる
史実では:沈珍珠と安慶緒の間に何があったのかは全く不明です。
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李俶との再会と離別
洛陽奪回と再会
756年、広平王李俶は洛陽を奪回し、
一年以上掖庭宮に監禁されていた沈珍珠と再会を果たしました。
しかし、この再会は必ずしも幸せな結末を意味しませんでした。
当時の長安周辺は動乱が絶えず、盗賊が横行し、
食料不足で人が人を食べるほどの悲惨な状況でした。
さらにチベットの侵攻圧力もありました。
洛陽に留まる決断
李俶は沈珍珠の安全を考慮し、
長安に迎えることはせず、洛陽宮に住まわせることにしました。
私が思うに、これには表面的な理由以外にも深い事情があったのではないでしょうか。
安慶緒との関係について何もなかったとしても、どうしても疑念を持たれてしまう可能性があります。
沈珍珠自身も、自分の息子(後の唐徳宗)に迷惑がかかることを懸念し、
洛陽に留まることを選んだのではないかと思われます。
永遠の謎となった最期
再び行方不明に
洛陽は再び史思明によって陥落しました。
史実によると、洛陽陥落の前に李俶は部下を派遣して沈珍珠を救出しようとしました。
部下は洛陽城が空になったと報告しましたが、
沈珍珠の行方については分からなかったとされています。
ドラマでの描写:洛陽を脱出した沈珍珠を、李俶の目の前で安慶緒がかっさらい、
安陽の城に連れて行く
最後の奪回と永遠の別れ
762年、李俶は洛陽を奪回しましたが、沈珍珠の行方は分かりませんでした。
彼女がどこで、どのように最期を迎えたのかは、歴史の謎として残されています。
おわりに
広平王李俶、沈珍珠、安慶緒の間にあった真実の感情や状況は、
おそらく当事者だけが知っている永遠の秘密です。
史実とドラマの違いを見ると、制作者たちが歴史の空白を想像力で埋め、
より劇的な物語を創り出していることが分かります。