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安慶緒はソグド人だった――唐代の多民族国家と民族意識

イケメン俳優が演じた安慶緒、でも実際の顔立ちは?

安慶緒(~759年)は、中国の唐代を震撼させた安史の乱を起こした安禄山の次男です。TVドラマ「麗王別姫」では、杭州出身のイケメン俳優マオ・ズージュンが安慶緒を演じ、話題になりました。ドラマはエンターテイメントとして楽しめるものでしたが、実際の歴史とはかなり異なる部分がありました。

特に気になるのは、安慶緒の民族的背景です。

「安」も「康」もソグド人の姓

安慶緒の父は安禄山、母は康夫人と呼ばれています。「安」や「康」という姓は、漢人(漢民族)には見られない特徴的な姓です。これらは、ソグド人が中国風の名前を名乗る際に用いた姓なのです。

ソグド人とは、ソグディアナ地方(現在のウズベキスタン)で暮らすイラン系の民族。当時、「安国」は現在のウズベキスタンのブハラ周辺を、「康国」はサマルカンド周辺を指していました。

つまり、安慶緒は安国出身の父と康国出身の母を持つ、純粋なソグド人だったのです。

安慶緒の本当の顔立ちとは

ソグド人はイラン系民族ですから、安慶緒の顔立ちは、鼻が高くほりが深く、髭が濃い中東風の容貌だったと考えられます。ドラマで彼を演じたマオ・ズージュンさんの端正な東アジア系の顔立ちとは、おそらくかなり異なっていたでしょう。

また、ドラマでは寧州(現在の遼寧省朝陽市)出身の安慶緒が、呉地方出身のキャラクター沈珍珠と幼なじみという設定でしたが、これも史実とは大きく異なります。実際の安慶緒のルーツは、はるか西方のソグディアナにあったのですから。

唐は多民族国家、でも中心は漢民族でいたかった

唐は確かに多様な民族を受け入れる国際国家でした。しかし、その中心はあくまでも漢民族であり、周辺の異民族はあくまで「周辺」に位置づけられていました。

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漢民族にとって、自分たちが「周辺異民族」と見なしていた人々に地位を脅かされることは、受け入れがたいことだったはずです。

751年、唐を震撼させた二つの出来事

751年は、唐朝にとって大きな転換点となる年でした。

この年、安禄山が3郡の節度使として強大な権力を握りました。同じ年、唐の将軍高仙芝はタラス河の戦いでアッバース朝に敗北します。この敗北は、唐朝朝廷に激震をもたらしたに違いありません。

それまで唐は周辺異民族を積極的に受け入れ、領土拡大を進めてきました。しかし、ふと気づけば、異民族の方が力を持っている。いつの間にか漢民族は中心から外れてしまったのではないか――そんな危機感が、唐の支配層の間に広がっていったのではないでしょうか。

タラス河の敗北以降、周辺異民族の力が強くなってきたことは、誰の目にも明らかになってきました。「軒を貸して母屋を取られる」とでも言うべきか、現代の移民問題で起こるような感情と似たものが、当時の唐朝廷にも芽生えたのかもしれません。

そして755年、安史の乱が勃発

こうした緊張の中、755年に安禄山の乱が発生します。

楊貴妃の一族である楊氏が、安禄山の一族である安氏を敵視していたのは、単なる政治の主導権争いという面もあったでしょう。しかしそれ以上に、漢民族の異民族に対する根深い差別意識が根底にあったのではないかと私は考えます。

まとめ

安慶緒という一人の人物を通して見えてくるのは、唐という多民族国家が抱えていた矛盾です。開放的で国際的な国家でありながら、その内部には民族間の緊張が存在していました。

歴史ドラマはエンターテイメントとして楽しむものですが、史実を知ることで、当時の人々が直面していた複雑な現実が見えてきます。そして、それは現代の私たちにも通じる、普遍的な問題を投げかけているのではないでしょうか。

 

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