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ウイグルを強国にした葛勒可汗(かつろくかがん)─策略家としての真の姿

テレビドラマ『麗王別姫』では、ウイグル(回紇)の葛勒可汗モユン・チョル(默延啜)が、唐にとても友好的で恋バナに付き合う優しいおじさんとして描かれています。ベルリン国際映画祭銀熊賞を受賞した実力派俳優が演じる、ダンディで親切な人物像です。

しかし、史実の葛勒可汗は、単なる「いい人」ではありませんでした。彼は冷徹な戦略眼を持った策略家であり、ウイグルを中央アジアの強国へと押し上げた傑出した指導者だったのです。

ドラマで描かれる葛勒可汗の姿

史実の葛勒可汗の業績

葛勒可汗は実際に優れた統治者でもありました。

  • ソグド人や漢人を住まわせて交易を行う拠点、城塞都市バイ・バリク(富の街)を建設
  • 壮麗な宮殿を築き、文化的な統治者として君臨
  • 安史の乱では唐からの要請を受けて連合し、反乱を鎮圧

ドラマでの脚色

一方、ドラマでは次のような脚色が加えられています。

  • 安慶緒との恋に敗れた寧国公主を優しく迎え入れ、皇后とする

実際には公主と安慶緒とのロマンスはありません。この設定は、中国側が卑屈にならないための配慮でしょう。史実では、唐は皇帝の娘を嫁がせ、貢物を渡すという条件でウイグルの協力を得たのですから、立場は対等かそれ以上だったはずです。ドラマでは、葛勒可汗を恋に破れた公主を優しく迎える紳士として描くことで、この政治的な結婚をロマンチックなものに仕立て上げているのです。

葛勒可汗が恐れていたもの

葛勒可汗には、常に脅威となる存在がありました。それが東突厥の残党です。

ウイグルはもともと東突厥の支配下にありましたが、葛勒可汗の父の代に独立を果たしました。しかし葛勒可汗自身の即位は、血なまぐさいものでした。彼は、カルルクと契丹が支持していた兄を殺害して可汗の座に就いたのです。

安禄山という脅威

安史の乱を起こした安禄山は、ソグド人と東突厥の混血でした。そして彼の周囲には、ウイグルにとって危険な勢力が集結していました。

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  • カルルク:ソグド人の土地に近く、安禄山と親しい関係
  • 契丹:東突厥の一部であり、やはり安禄山の出身地に近い

安禄山の軍隊には、当然これらカルルクや契丹の人間が加わっていました。さらに安禄山は、ウイグルに近接した唐の領土で3つの節度使を兼任していました。節度使は独自の軍隊を持つ存在です。つまり、いつ東突厥の残党と結託してウイグルを攻めてくるかわからない状況だったのです。

冷徹な戦略─唐との連合

葛勒可汗は、この脅威を逆手に取りました。唐と連合して安禄山を挟み撃ちにする戦略を立てたのです。

唐にとっても、カルルクは因縁の相手でした。かつてカルルクは唐に服従すると見せかけながら、土壇場で裏切り、その結果唐はアッバース朝に大敗を喫していたからです。

安史の乱には安禄山と出身地の近い人間が集まっていました。ウイグルと唐が手を組めば、この勢力を東西から挟撃できる。葛勒可汗の計算は、見事に的中しました。

戦略の成果─西域支配権の移動

この戦略の結果、唐は安史の乱を鎮圧できましたが、代償も大きいものでした。唐は西域の支配権を失ったのです。

しかし、その支配権を握ったのがウイグルでした。葛勒可汗は、唐を助けるという名目で参戦しながら、実際には自国の勢力圏を大きく拡大することに成功したのです。

まとめ─真の策略家

葛勒可汗は、決して単純な「親唐派」ではありませんでした。

  • 東突厥残党という脅威を認識
  • 唐との連合で安禄山勢力を挟撃
  • 結果として西域の支配権を獲得

彼は、複雑な国際情勢を冷静に分析し、自国の利益を最大化する戦略を実行した、なかなか立派な策略家だったのです。

ドラマでは優しいおじさんとして描かれる葛勒可汗ですが、史実の彼は、ウイグルを中央アジアの強国へと押し上げた、冷徹かつ優れた戦略家でした。その手腕こそが、ウイグルの繁栄をもたらしたのです。

 

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