2026年7月
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李牧はなぜ斬られた?不敗の名将を殺した郭開の讒言と「正しさ」の代償
李牧は、負けたことがありません。 匈奴の十余万騎を一戦で葬り、秦の桓齮(かんき)を肥で破り、その翌年には南北から迫った秦の二方面軍を番吾で追い返した。『史記』を…
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礼楽制度——音楽で支配する、という発明
周王朝は、天下を「徳」で保とうとした国でした。その徳を、目に見え、耳に聞こえる形にした発明が、「礼楽(れいがく)」です。誰が、どれだけの音楽を鳴らし、何人で舞っ…
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恭親王奕訢(えきけん)はなぜ失脚したのか——西太后の「上げては落とす」20年
※これは「[恭親王家三代記]」の初代・奕訢(えききん)を、「西太后にどう削られていったか」に絞って掘り下げる一本です。良い改革をしていたはずの人が…
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満蒙独立運動と、四人の人間——溥偉・善耆・川島浪速・川島芳子
この記事は、川島芳子まわりの人々を結ぶ「背骨」です。バラバラに見える善耆・浪速・芳子は、じつは**満蒙独立運動**という一本の線でつながっています。ただし先に断…
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易経・乾卦の龍——潜龍勿用から飛龍在天、そして亢龍有悔まで
以前、乾隆帝の書を見る機会がありました。高価な紙に流麗な字。でもなんか「俺は上手いんだぜ」みたいな感じの奢(おご)りをかんじてしまいました。[清朝皇帝の書] そ…
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澶淵の盟と蕭燕燕——平和がもたらした金は、中央集権を支えた
> ※この記事は、私の遼(契丹)シリーズの一篇で、蕭三姉妹や太祖三支の物語の、ちょうど真ん中にある大事件——澶淵の盟を扱います。和平を、ただの停戦ではなく…