『宮廷の諍い女(甄嬛伝)』を観ていて、こんなことを感じたことはないでしょうか。
甄嬛が、だんだん怖くなっていく。
けれど視聴者は主人公に感情移入して観ているので、その怖さを「成長」として受け取ります。弱かった彼女が強くなった、宮廷で生き抜く術を身につけた、と。
本当にそうでしょうか。
彼女がしたことを一つずつ並べてみると、少し違うものが見えてきます。
彼女は、誰も直接手にかけていない
まず、この一点から始めたいと思います。
甄嬛は、自分の手で人を殺していません。
毒を盛るところを目撃されもしなければ、誰かを叩くこともない。刑を宣告する立場にもない。にもかかわらず——
彼女の前に立ちはだかった人は、全員消えています。
これは偶然でしょうか。それとも、方法でしょうか。
麗嬪——精神を壊すという方法
麗嬪は「後宮一の美人」と謳われた女性でした。華妃派のナンバー2として重用されましたが、彼女には知恵がありません。美貌だけが武器でした。
彼女は華妃・曹貴人とともに、余氏を唆して甄嬛に毒を盛らせる陰謀に加担します。
余氏が賜死されたあと、甄嬛が取った方法は——「余氏の亡霊」の噂を流すことでした。
そして麗嬪は、精神的に追い詰められていきます。錯乱し、ついに人前で華妃が黒幕だと口走ってしまう。太后によって冷宮に送られ、そこで生涯を終えました。
ここで注目したいのは、甄嬛が麗嬪に何もしていないことです。
毒を盛ってもいない。罠に嵌めてもいない。ただ**噂を流し、相手が自壊するのを待った。**麗嬪を破滅させたのは、麗嬪自身の口です。
華妃なら、板で打たせたでしょう。皇后なら、誰かに命じたでしょう。
甄嬛は、相手の心を使いました。
曹貴人——母心を梃子にする
曹貴人は、容姿にも家柄にも恵まれない女性でした。だから権勢のある華妃につく——それが彼女の生存戦略です。
そして彼女には、娘がいました。
華妃がその娘を利用しようとし、モンゴルへの政略結婚という運命が見えたとき、曹貴人は華妃を裏切って甄嬛の側につきます。娘を守るには、自分が高い位に就くしかないと悟ったからです(→「[曹貴人は本当に悪い人だったのか]」)。
この寝返りを引き出したのが、甄嬛でした。
華妃は権勢で人を従わせます。甄嬛は違います。相手のいちばん大切なものが何かを見抜いて、そこに手を掛ける。
そして曹貴人は、華妃の参謀から甄嬛の側の人間になりました。
つまり甄嬛は、華妃の頭脳をそのまま奪ったわけです。
受け継いだ三つの手口
こうして並べると、彼女のやり方が誰のものかが見えてきます。
| 誰から | 甄嬛が受け継いだもの |
|---|---|
| 皇后 | 自ら手を汚さず、人を動かす |
| 華妃 | 有能な参謀を使う(曹貴人をそのまま引き継いだ) |
| 甄嬛 | 相手の弱みを掴んで動かす |
皇后は、常に誰かを動かす人でした。祺貴人は、その最後の駒です(→「[祺貴人は実在したのか]」)。
華妃は、曹貴人という頭脳を持っていました。表で怒鳴るのは彼女ですが、策を立てていたのは曹貴人です。
甄嬛は、二人から一つずつ受け継いでいます。
そして、より上手くやっている。
より洗練されている、ということ
ここが恐ろしいところです。
華妃のやり方は、**目に見えます。**板で打たせれば、誰がやったか全員が知る。だから恨まれるし、証拠も残る。
皇后のやり方は、**隠れています。**けれど駒を失えば動けなくなる。祺貴人が滅んだ時点で、皇后は無力になりました。
甄嬛のやり方は、そもそも行為として存在しません。
噂を流す。相手の弱みに触れる。あとは待つ。手を下していないので、恨む対象すら曖昧になる。
麗嬪を壊したのは麗嬪の口であり、曹貴人を動かしたのは母心です。どちらも、本人がやったことになっている。
そして、踏まれた人たちを見てください
夏常在——空気が読めなかっただけ(→「[一丈紅は実在しない]」) 麗嬪——美しかったが、知恵がなかっただけ 曹貴人——娘を守りたかっただけ
誰も、大それた悪をしていません。
彼女たちに共通するのは、罪ではなく弱さです。愚かだった、後ろ盾がなかった、守りたいものがあった。
そして後宮では、弱さがそのまま罪になります。
顔が、変わっていく
そして、このことは画面にも出ています。
序盤の甄嬛のメイクは、柔らかく、淡い。入宮したての少女らしい顔です。
それが、位が上がるにつれて変わっていきます。眉が上がり、輪郭が強くなり、色が濃くなる。甘露寺から戻ってくる場面では、もう本当に怖い顔になっています。
観ているとき、私はそれを「後宮での地位が上がってきたな」と受け取っていました。
そう受け取るように作られているのだと思います。
華やかになった、風格が出た、貫禄がついた——**視聴者は昇進の記号として読む。**けれど同じ画面が示しているのは、彼女がもう別人になっているということでもあります。
顔だけではありません。声の出し方、間の取り方、笑い方。初期の甄嬛なら絶対にしなかった表情を、彼女はするようになります。
そして誰も、それを「怖い」とは言いません。成長した、と言うのです。
変わらなかった人が、一人いる
けれど、ここで思い出したいことがあります。
沈眉荘は、最初から最後まで変わりませんでした。
同じ年に入宮し、同じ後宮にいて、同じ危険にさらされた人です。華妃に陥れられ、皇帝に見放され、それでも彼女の佇まいは変わりません。優美なまま、静かなまま、最後まで自分の基準を手放しませんでした。
彼女が生前、甄嬛に言った言葉があります。
あなたのほうが美しく、才もあると知っている。だから私は、品行を修めることにした。あなたがこの楽器を学ぶなら、私は別のものを学ぶ。私も劣ってはいない。嬛嬛、私はあなたに嫉妬したことがない。比べたこともない。ただ、あなたが無事であればいいと思っている。
安陵容が、同じ壁を見て歪んだのと正反対です(→「[安陵容はなぜ甄嬛を許さなかったのか]」)。
自分は才において劣らない。けれど格が違う——安陵容はそこで折れました。沈眉荘は同じ壁を見て、**「では、別のものを磨こう」**と決めた。
そして死の間際、生まれた娘に名をつけます。
「温和従容、歳月静好」——穏やかに、ゆったりと、日々が静かでありますように。
**「これこそ、私たちがずっと願っていた日々ではないの」**と言って、静和公主と名づけました。
入宮したときの願いを、一字も変えずに死んでいます。
この人がいることで、「あの環境ではああなるしかない」という説明が成り立たなくなります。
同じ場所に、同じ時期にいて、変わらずに済んだ人がいるのですから。
温実初は、視聴者の位置にいる
もう一人、書いておきたい人がいます。温実初です。
彼は誓いを立てた人でした。守るべき相手は甄嬛だと、自分で決めていた。生涯をかけて彼女を守り、大切にすると言い切っています。
それでも、心は沈眉荘へ向かっていきました。
理屈では甄嬛を守るべきだとわかっている。約束もしている。けれど実際に惹かれていったのは、変わらないほうの人でした。
これは、視聴者に起きていることとまったく同じだと思います。
主人公なのだから応援すべきだとわかっている。彼女の視点で観ているのだから、当然そうなるはずです。それなのに心が動くのは、沈眉荘や、華妃や、安陵容のほうだったりする。
温実初は、視聴者の位置に置かれた登場人物なのかもしれません。
彼が沈眉荘の腕の中で看取られる場面は、だから胸に迫るのだと思います。あれは、私たちがどこへ心を寄せていたかを、代わりに示してくれている場面なのですから。
【私の見立て】
ここからは史実の記述ではなく、私の読みです。
物語は、これを「成長」として提示します。
無垢な少女が宮廷の理を学び、強くなり、ついに頂点に立つ。視聴者は最初から彼女の視点で観ているので、そう受け取るのが自然です。
けれど、成長とは何でしょうか。
入宮したての甄嬛なら、麗嬪の精神を壊すという発想を持たなかったはずです。曹貴人の娘に目をつけることもなかったでしょう。それができるようになったことを、成長と呼ぶのでしょうか。
彼女が身につけたのは、宮廷で生き抜く知恵であると同時に、かつて自分が恐れていた人たちの手口でした。
そして、いちばん怖いのはここです。
彼女は、それを一番うまくやりました。
華妃より上手に、皇后より上手に。手を汚さず、証拠も残さず、相手が自分で崩れるように仕向ける。この作品でもっとも冷酷で、もっとも巧みな人物は、主人公です。
甄嬛を評して**「愛を捨てて、争いを求めた女」**と言った人がいます。私も、そのとおりだと思います。
入宮したときの彼女が望んでいたのは、寵愛ではありませんでした。「宮中で安穏に一生を過ごし、甄氏一門と自分の命を保てればよい」——それが彼女の願いでした。
その願いは、途中で入れ替わっています。
果郡王との恋を選べたはずの分岐で、彼女は宮廷に戻る道を取りました。子と一族のため、というのが表向きの理由です。けれど戻ったあとの彼女は、生き延びるために必要な範囲を、明らかに超えて動いています。
安穏を求めた人が、争いを求める人になった。それを私たちは「成長」と呼んでいるわけです。
私たちがそう感じないのは、彼女の内面だけが描かれているからでしょう。
甄嬛の迷いは丁寧に描かれます。失ったものへの痛みも、後悔も。けれど麗嬪が冷宮で何を思ったか、曹貴人が毒を飲まされる直前に娘のことをどう考えたかは、ほとんど描かれません(→「[斉妃と三皇子弘時の実像]」)。
内面を持っている者だけが、赦されるのです。
悪くない物語だと思います
念のために書いておくと、私はこの作品を貶したいのではありません。
むしろ逆で、脚本はこの構造を承知のうえでやっていると思います。終盤の甄嬛は明らかに手を汚した人物として描かれますし、皇太后となった彼女は幸福そうに見えません。「勝ったが、何も残らなかった」という後味は、意図して置かれたものです。
だから、この作品は「善が悪に勝つ物語」ではないのでしょう。
「善だった人が、勝つために何になったか」の物語なのだと思います。
結局、頂上には何もない
そして、もう一つ書いておきたいことがあります。
甄嬛は勝ちました。誰よりも巧みに、誰よりも冷徹に、全員を倒して頂点に立ちます。
では、彼女は歴史に何を残したのでしょうか。
史実の孝聖憲皇后——甄嬛のモデルは、乾隆帝の生母として八十六歳まで生きました。息子は孝心の篤い皇帝で、清朝でもっとも幸福な女性とも言われます。
そして、政治には一切関与していません。
いえ、正確に言えば——彼女は使命を果たしています。
一族の繁栄です。甄氏は流刑から戻り、栄達しました。入宮のときに父が娘に望んだこと、彼女自身が最初に願ったことは、そのとおりに達成されている。
問題は、それが「唯一許された使命」だったことです。
男の物語なら、「勝った」のあとに「そして、こうした」が続きます。国を治めた、法を改めた、戦を収めた。
女に用意されていた「そして」は、一族の栄達だけでした。
そしてこれは、後宮の全員に共通します。華妃は兄のために、祺貴人は父のために、安陵容も家のために動いていました。賢い女たちの知恵が、まるごと身内の利益へ向けられている。
国がどうなろうと、身内さえ栄えればいい。
制度がそう仕向けているのですから、彼女たちを責めることはできません。けれど、そういう人ばかりになった国がどうなるかは——
宣太后は秦を動かし、趙姫は摂政に立ち、遼の蕭燕燕は澶淵の盟を結び、宋の劉娥は十一年にわたって政を執って紙幣を整えました。
彼女たちには、身内より大きな行き先がありました。
甄嬛には、それがない。使える先は「隣の女をどう潰すか」しかない。清朝には**「後宮不得干政」**——後宮は政治に関与してはならないという原則があり、外へ出る道が制度的に塞がれていたからです。
麗嬪への報復が私怨に見えるのも、たぶんそのせいです。大義を持ちようがない。
女が小さくなったのではありません。檻が狭くなったのです。
そして視聴者は、その狭さを「女の恐ろしさ」として受け取ってしまう。
檻は、後宮だけではありませんでした
けれど、書きながら気づいたことがあります。
同じことが、外でも起きていました。
後宮では、隣の女を引き摺り下ろして自分が上がる。宮廷では、隣の男を引き摺り下ろして自分が上がる。やっていることは、同じです。
皇帝一人が価値の源泉である以上、そうなるほかない。評価してくれる人が一人しかいない場所では、全員が競争相手になります。
そしてこれは、偶然ではなく設計でした。
中心が「逆転のチャンス」を配ることで、周辺の者たちは勝手に競い合い、互いを警戒し、けっして団結しない——包衣制度について書いたときに見たのと、まったく同じ構造です(→「[包衣(ボーイ)制度とは何か]」)。奴隷身分から皇帝の母になれる道を、わざと一本だけ開けておく。希望を配ることが、そのまま統治になる。
後宮も同じでした。誰にでも寵愛を得る可能性がある、と思わせておく。すると女たちは、皇帝ではなく互いを見るようになります。
後宮が息苦しいのは、女の集まりだからではありませんでした。
皇帝を中心とした激烈な競争社会に、男も女も等しく置かれていた——後宮は、その縮図だったのだと思います。
そして視聴者は、彼女と一緒にそこまで歩いてしまう。宮廷で生き残るにはこうするしかない、と受け入れながら観ているうちに——気がつくと、自分も同じところに立っている。
それに気づかされるのが、華妃が「世蘭」と自分の名を叫ぶ場面でした(→「[華妃は実在したのか]」)。
損得の計算がひとつも入っていない、ただ愛されたかっただけの言葉。あの純真さに胸を打たれた瞬間、自分がどこまで来てしまったかがわかる。
「[紅顔劫]」が歌ったのは、美しさが身を滅ぼすという劫でした。けれど本当の劫は、そこではないのかもしれません。
花園という檻の中で、自分が自分でなくなっていくこと。
そして、そうなったことにさえ気づかないこと。
最後に、正直なことを
名作だと思います。それは疑っていません。
ただ、観ていると息が詰まるのです。
宣太后たちの物語には、風が通っています。『甄嬛伝』には、それがない。
そしておそらく、それこそがこの作品の描いたものなのでしょう。息が詰まるように作られているのですから。
けれど正しくても、苦しいものは苦しいのです。
◀ 関連:[華妃は実在したのか] | [曹貴人は本当に悪い人だったのか] |
[一丈紅は実在しない] | [祺貴人は実在したのか] | [紅顔劫]
◀ 同じ構造:[包衣(ボーイ)制度とは何か] | [郭開] | [金印と百余国]
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