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三国志Secret of Three kingdoms 龍平の史実

後漢の献帝には双子の弟がいたのか

「三国機密」では、劉平は漢の献帝・劉協の双子の弟であり、この作者の捏造が三国志の大河ドラマになりました。
しかし、後漢末には劉平はおらず、劉協にもそのような弟はいなかったです。

捏造の原型

しかし、このような捏造を思いついたのには、原型があるはずです。
その答えは、後漢書にありました。

後漢書とは南宋の范晔が編纂した歴史書です。
『後漢書』は、王莽の新王朝の滅亡(23年)に始まり、曹丕による漢王朝の廃絶と、漢の建安25年(220年)の魏王朝の成立に終わる、後漢の197年間を記したものです。

後漢書に記された龍平

光武帝の頃、劉平という人物が親孝行者として県の宰相に任命され、また政治的な功績があったと記述されています。

忠、勇、直、忍、義.を体現した人と言われています。

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龍平のエピソード

龍平の弟は盗賊に殺されました。その後、再び盗賊がやってきたので、劉平は母親を助けて逃げました。
龍平の弟の娘はまだ1歳でしたが、龍平は姪を抱き、自分の息子を捨てました。
劉平の母は劉平の息子を助けるために戻ろうとしましたが、劉平は止めました。
“私たちの今の力では、二人の子を同時に生かしておくことはできない。もし、私の息子を助けたら弟の子孫を残せない。”と言いました。
その後、母親と姪と一緒に野に隠れました。

劉平は朝、食べ物を探しに出かけ、盗賊に出会ってしまいました。
劉平は”食べ物を待っている年老いた母のところに帰してください。
母親が食事を終えたらまた戻ってきます”と言って、本当に盗賊の元に帰ってきました。
盗賊は忠誠心、勇気、誠実な人だと感心して彼の命を奪いませんでした

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