大宋宮詞50話で、趙恒(ちょうこう)が、崩御しました。
皇帝の亡き後、皇帝の弟であり、娘婿である冀王に皇位を継承させようと、曹鑑が娘の曹思斉ともに企みました。
しかし、曹鑑の息子の曹利用(そうりよう)は勝ち目が無いと皇位簒奪に同意しませんでした。
怒る父に向かって、兵権も無いのに、「蟷螂の斧」だ。と言います。
力もないのに、刃向かうつもりなのかと言って、企みに加わりませんでした。
「蟷螂」とははかまきりだそうです。
蟷螂が斧を以て隆車に向かう(読み)とうろうがおのをもってりゅうしゃにむかう
とは、 かまきりが前足を振り上げて、大きな車に立ち向かうことをいう。
手向かいしても問題にもされないのに、みずからの力も顧みずに、強者に刃向かうこと。
しばしばいろんな古典に出てくるそうです。
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身の程知らずは痛い目にあう
中国の春秋時代、
しかし、太子が凶暴な性格であることを知って、どうしたものかと蘧伯玉(
すると蘧伯玉は、「
つまり、王に任命されたのに、王や太子の権威に抗うような身のほど知らずは、痛い目に遭いますよ、と諭したということです。
曹操、袁紹の軍に立ち向かう
曹操、 蟷螂の斧を以て、隆車(リュウシャ:大軍)の隧(スイ:轍)を禦(ふせ)がんと欲す。
蟷螂の斧によって、大軍を押しとどめようとした。