※本サイトは、アフィリエイト広告を利用し収益を得て運営しています

加冠の儀——三つの冠で授かる、おとなの三つの権力【大宋宮詞43話】

 

※この記事は、「[旒と垂裳]」「[衮冕(劉娥と仁宗)]」につづく、“帽子”の一篇です。ドラマ『大宋宮詞』43話で再現される「加冠(かかん)の儀」——男子の成人式。じつはこの儀式、三つの冠を順にかぶることで、おとなになる男に「三つの権力」を象徴的に授けるものでした。「[玉圭・璧・鉞]」で見た三つの権力と、きれいに響き合います。

加冠の儀とは

加冠の儀は、中国古代の男子の成人式(冠礼〔かんれい〕)です。通常は二十歳に達したとき、吉日を選び、賓客を招き、天地と祖先に供え物を捧げて行われました。冠をかぶせてもらい、おとなの証である「字(あざな)」を授かる——それは、「社会の一員として認められた」という宣言でした。

 

弱冠」とは、本来この儀式のこと よく使う「弱冠(じゃっかん)」という言葉は、ここから来ています。『礼記(らいき)』に「二十を弱と曰(い)い、冠す(二十曰弱、冠)」——二十歳の年齢を「弱」と呼び、その歳に冠をかぶる、とあります。「弱」は「弱い」ではなく、「まだ力が満ちきっていない、若々しい」の意。つまり弱冠とは、本来「男子二十歳で冠をかぶること」を指しました。今の日本語では「弱冠十六歳で優勝」のように、年齢を問わず「若くして」の意味で使いますが、もとは二十歳の男子限定だったのです。

 

ドラマの受益は、わずか十歳——これは“ゴリ押し”でした ただ、ドラマで加冠を受ける受益(じゅえき=のちの仁宗皇帝)は、二十歳ではなく、わずか十歳でした。本来の「弱冠=二十歳」からすれば、これは異例の前倒し(いわばゴリ押し)。彼を正式に皇太子として早く確定させ、後継の正統性に箔をつけるための、政治的な早成人式だったのです(受益という名には、「天命を受け、国と民に益をもたらす」という願いが込められています→天命の思想は「[牧誓]」へ)。
>
> ——じつは、これは日本人にも手がかりがあります。日本の「元服(げんぷく)」は、この中国の冠礼が渡ったもの。そして日本でも、天皇家や将軍家の世継ぎは、十代前半、ときに十歳前後で元服しました。「跡継ぎは早めに大人にして、地位を固める」という政治の都合は、日中で共通だったのです。
>
> そしてこの受益こそ、のちに養母・劉娥と「衮冕」をめぐって静かに渡り合う、あの仁宗です(→「[衮冕(劉娥と仁宗)]」)。十歳で三つの冠をかぶった少年が、長じて、母の衮冕に一線を引く皇帝になる。冠から冕へ——その人生が、帽子でつながっているのが面白いところです。

三度の戴冠——三つの冠が、三つの権力を授ける

加冠の儀の核心が、三つの異なる冠を順にかぶる「三加(さんか)」です。一つずつ、意味が違いました。

第一の冠・緇布冠(しふかん)——行政の権 最初にかぶるのは、黒い布でできた素朴な冠。これは「政(まつりごと)に参加し、人を治める資格」を表します。朝堂に入り、社会的な責任を担う者になった、という印です。

第二の冠・皮弁(ひべん)——軍事の権 次にかぶるのは、白い鹿皮でできた冠。これは「国土を守る、軍務を司る資格」を表します。武人として、軍の指揮に立つ者になった、という印です。

第三の冠・爵弁(しゃくべん)——祭祀の権 最後にかぶるのは、祭祀用の格式高い冠(赤黒い色の弁)。これは「大廟に入り、神聖な祭祀に参加する資格」を表します。天と祖先を祀る側に立つ者になった、という印で、この段階で、皇帝や貴族の最高の礼服「[袞冕(こんべん)]」をまとうこともありました。

三つの冠をかぶり終えると、盛大な宴が催されます。冠を受けた者は、兄弟や後見人、叔母や姉妹に敬意を表し、装いをあらためて、贈り物を持って君主や大臣のもとへ挨拶に回りました。こうして、彼は名実ともに「おとな」になったのです。

 

私の見立て——これは「圭・璧・鉞」の、かぶる版だ ここで、シリーズの糸が一本、はっきりつながります。緇布冠=行政、皮弁=軍事、爵弁=祭祀。——この行政・軍事・祭祀という三つの権力は、「[玉圭・璧・鉞]」で見た、圭(統治権)・鉞(軍事権)・璧(祭祀権)と、ぴたりと同じ三つなのです。そして「[周礼の六官]」でいえば、地官・夏官(司馬)・春官(宗伯)の担当そのもの。古代中国は、この三つの権力を、あるときは玉器に刻み、あるときは頭にかぶる冠に託した。おとなの男になるとは、この三つの力を象徴的に授かること——「見えない権力を、かぶれる形にする」古代中国の癖が、成人式にも流れていたのです。一人前になるとは、行政・軍事・祭祀という、社会を支える三つの責任を、頭に載せることだったのですね。

周から明まで続き、清で消えた

加冠の儀は、周王朝に始まり、明王朝まで、長く受け継がれた伝統でした。ところが——満州族の清が中国を支配すると、多くの漢の習慣が変更を迫られ、加冠の儀も次第に衰え、ついには消滅してしまいます。

 

私の見立て——消えた成人式と、変えられた「漢の身体」 これは、偶然の風化ではありません。清は、漢人に辮髪(べんぱつ)と満洲服を強い、漢の「衣冠(いかん)」——服装と冠——を、根本から作り変えた王朝でした。冠をかぶる成人式が消えたのは、その「冠」そのものが、征服王朝によって取り替えられたからです。これは、纏足をめぐって漢と満の境界が引かれた話(→「[延禧攻略の金蓮歩]」)と、同じ根を持っています。征服王朝は、人の頭や足という、いちばん身近な身体から、文化の境界を引き直した(→「[征服王朝とは何か]」)。三つの冠で三つの権力を授かる——そんな美しい儀式が、二度と行われなくなった背景には、王朝交代という、大きな力が働いていたのです。

まとめ

『大宋宮詞』が描いた加冠の儀は、ただの成人の祝いではありませんでした。三つの冠を順にかぶることで、行政・軍事・祭祀という三つの権力を象徴的に授かる——権力の承継と、社会的地位の確立を意味する、重い儀礼だったのです。圭・璧・鉞が玉に刻んだ三つの力を、冠は頭に載せた。十歳の受益がかぶった三つの冠は、やがて彼が皇帝として背負う、三つの責任の予告でもありました。現代では失われてしまったこの儀式を、ドラマの一場面を通して思い描けるのは、なかなか得がたいことだと思います。

◀ 対になる記事:[及笄の礼(女性の成人式・三つの徳)]
◀ 帽子(冕)つながり:[衮冕(劉娥と仁宗・受益のその後)] | [旒と垂裳(皇帝の冠)]
◀ 同じ「三つの権力」:[玉圭・璧・鉞(統治・軍事・祭祀)] | [周礼の六官]
◀ 大宋宮詞クラスタ:[黄帝の子孫] | [桐葉封弟(天子に戯言なし)]
◀ 征服王朝が変えた身体:[延禧攻略の金蓮歩(纏足)] | [征服王朝とは何か]
◀ シリーズ一覧:清朝末期シリーズ 完全ガイドへ

 

¥220 (2026/02/07 18:49時点 | Amazon調べ)
¥220 (2026/02/07 18:50時点 | Amazon調べ)

広告

中国ドラマ

広告