中国宮廷ドラマの傑作「宮廷の諍い女」に登場する曹貴人は、
多くの視聴者に強烈な印象を残したキャラクターです。
彼女の物語は、史実の雍正帝の妃である懋嫔(ぼうひん)をモデルにしており、
その生涯には共通点と相違点が興味深く織り交ぜられています。
史実の懋嫔 – 初恋から悲劇へ
懋嫔の実際の人生は、まさに宮廷の残酷さを物語るものでした。
13歳という幼い年齢で、まだ皇子だった12歳の雍正帝に宮女として仕えることになった彼女は、
雍正帝の「初恋の人」となり深い寵愛を受けました。
しかし、幸福は長くは続きませんでした。
生まれた長女は若くして命を落とし、康熙45年に生まれた次女もまた早世してしまいます。
愛する娘たちを相次いで失った悲しみは、懋嫔を深い鬱状態へと追い込みました。
嫔の地位まで昇進したものの、次第に皇帝の関心は他に向き、
54歳で寂しくこの世を去った懋嫔。
その生涯は、宮廷という華やかな世界の影に隠れた母親としての深い悲しみに満ちたものでした。
ドラマの曹貴人 – 娘を守るための闘い
一方、ドラマ「宮廷の諍い女」の曹貴人は、史実とは異なる道を歩みます。
容姿に恵まれず、家柄も良くない彼女が後宮で生き残るために選んだのは、
権勢を誇る華妃に取り入ることでした。
しかし、華妃が曹貴人の愛娘に目をつけ、皇帝の寵愛を得るための道具にしようとしたとき、
母親としての本能が目覚めます。
曹貴人は華妃を裏切り、娘を守ると約束した甄嬛(しんけい)の側につくことを決意しました。
彼女の行動の根底にあったのは、
娘を遠くモンゴルに嫁ぐ運命から娘を守るためでした。
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そして、自分が高い地位にいることでしか、
娘のモンゴルとの政略結婚という悲劇的な運命を避けることができないと悟ったから
権力闘争に参加したのです
異なる結末が示すもの
史実の懋嫔は宮廷の争いに巻き込まれることなく、用心深く生きましたが、
娘たちの死による悲しみに打ち勝つことはできませんでした。
対照的に、ドラマの曹貴人は積極的に権力闘争に参加します。
華妃が力を失ったのを見て
華妃の悪事をあばいて曹貴人(ソウキジン)は、襄嫔(じょうひん)の地位まで昇進します。
だが華妃を死罪に処するよう雍正帝(ヨウセイテイ)に進言したことで、
華妃の悪事は襄嬪の献策によるものだと知っている雍正帝に警戒され、
雍正帝の密命により毒殺されてしまいます。
しかし、曹貴人は亡くなっても、彼女は嫔という地位にあったため
愛する娘はモンゴルへの政略結婚を免れることができました。
美しくもなく、家柄も低い彼女は、なんとか後宮のなかであがいて、
最終的に命を落としたけれど、愛する娘を守ったのです。
母の愛の普遍性
史実とドラマ、どちらの物語も「母の愛」という普遍的なテーマで貫かれています。
懋嫔は娘たちを失った悲しみで命を縮め、
曹貴人は娘の未来のために自分の命を犠牲にしました。
時代や立場は違えど、子を思う母の心は変わりません。
曹貴人の行動には確かに利己的で裏切り者の要素もありましたが、
その根底にある動機を理解するとき、
私たちは単純に彼女を悪人と断じることはできないでしょう。