中国ドラマ「三国志Secret of Three Kingdoms」の第33話では、古代中国の美しい詩が登場し、視聴者の心を深く打ちます。今回は、作品中で引用された二つの詩について、その背景と込められた想いを探ってみましょう。
詩経「豳風・東山」- 故郷への想い
まず紹介されるのが、中国最古の詩集『詩経』から「豳風・東山」の一節です。
我徂東山 慆慆不归
「我 東山に行き、とうとうとして帰らず」
「東征に行き、長いこと帰れなかった」
この詩は、遠征に出た兵士の心境を歌ったものです。故郷を離れて東山へと向かった主人公は、いつ帰れるかもわからない日々を過ごしています。
詩人は想像を巡らせます。
「いつか帰れるその日には、小雨が降っているだろうか」
「いつか帰れるその日には、と考えてしまうと、はやる我が心は西に飛んでいる」
故郷への想いは募るばかり。普段着を作って着て、畑仕事をするような平穏な日常への憧れが込められています。しかし現実は厳しく、「うごめくくわむしのごとく、桑の野におり、うずくまり独り眠る」という孤独な状況が続くのです。
曹操「蒿里行」- 乱世への慨嘆
続いて登場するのが、三国志の英雄・曹操が詠んだ「蒿里行」です。この詩は反董卓連合軍の時代を背景としています。
正義に燃える丈夫は
悪人どもの討伐に出陣した
初めのうちこそ
王室に忠誠を尽し 逆賊を亡ぼそうと誓ったものの
敵を見て気おくれし 軍勢は整うも力を合わさず
誰も進もうとはせぬ
権力と利害は うちわもめを招き
やがて たがいに攻防をくりかえす
南で 弟が帝号を僭称すれば
北で 兄が玉璽を彫刻するありさまだ
鎧にうじがわくほどに 戦は果てしなく
人々は 兵乱のうち死亡する
白骨は 野に捨ておかれ
千里を行くも 鶏の鳴き声すら聞けぬ
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正義に燃える丈夫は悪人どもの討伐に出陣した
詩は理想に燃える武人たちの姿から始まります。初めは王室への忠誠を誓い、逆賊を討とうという高い志を持っていました。
しかし現実は理想とは程遠いものでした:
- 敵を見て気後れし、軍勢は整うも力を合わさず
- 誰も進もうとはしない
- 権力と利害がうちわもめを招く
- やがて互いに攻防を繰り返す有様
史実に基づく政治的混乱の描写
「南で弟が帝号を僭称すれば、北で兄が玉璽を彫刻するありさまだ」
この一節は、後漢末期の実際の政治的混乱を鋭く描写しています。具体的には以下のような史実が背景にあります:
袁術の皇帝僭称(197年)
南方の袁術が淮南で皇帝を自称し、仲家という年号まで制定しました。これは明らかな僭称行為で、正統性を持たない皇帝号の勝手な使用でした。
袁紹の皇帝擁立計画
北方の袁紹は袁術の兄にあたり、献帝を擁護する立場を取りながらも、実際には皇帝の権威を利用して自らの権力基盤を固めようとしていました。「玉璽を彫刻する」とは、皇帝の印璽を作ることを意味し、実質的に皇帝権力を簒奪しようとする行為を指しています。
幽州公孫瓚の独立
さらに北方では公孫瓚が幽州で半独立状態を築いており、中央政府の権威はほとんど及ばない状況でした。
劉表・劉璋兄弟の割拠
荊州の劉表、益州の劉璋も、それぞれが独立した勢力として君臨していました。
曹操はこの詩で、本来一つであるべき漢朝の権威が、各地の軍閥によって分裂・私物化されている現状を嘆いているのです。「兄弟」という表現は、同じ漢の臣下でありながら互いに皇帝権力を争う諸侯たちの愚かさを皮肉ったものといえるでしょう。
そして詩は悲劇的な結末を迎えます:
鎧にうじがわくほどに戦は果てしなく
人々は兵乱のうち死亡する
白骨は野に捨ておかれ
千里を行くも鶏の鳴き声すら聞けぬ
戦乱によって荒廃した大地の様子が、これ以上ないほど鮮烈に描かれています。実際に後漢末期の人口は、戦乱と疫病により大幅に減少したという記録が残っています。