2000年続いた「穴あき銭」
中国を統一した秦の始皇帝。万里の長城や兵馬俑で知られる彼ですが、彼はまた「お金」を巧みに使って帝国を支配していました。
今回は、秦の貨幣制度改革がいかに革命的で、そしてどのように崩壊したのかを解説します。
二層構造の貨幣システム:金持ちと庶民で違うお金
秦の貨幣制度は非常に合理的な二層制を採用していました。
上位貨幣:金(きん)
- 「鎰(えき)」という単位で計量(約300グラム)
- 貴族階級の大口取引専用
- 現代で言えば「高額紙幣」のような存在
下位貨幣:半両銭(はんりょうせん)
- 重さ約7.8グラム
- 円形で中央に四角い穴
- 庶民の日常取引で使用
この「金持ちは金、庶民は銅」という仕組みは、階級社会を反映したものでした。
天才的デザイン:「丸い天、四角い地」の哲学
半両銭の最大の特徴は、円形の外周と四角い穴というデザインです。
このデザインには深い意味がありました:
- 円形 = 天(丸い)を象徴
- 四角い穴 = 地(四角い)を象徴
つまり、一枚の銅銭に「天地」の概念を込めたのです。
さらに実用面でも優れていました:
- 紐を通して持ち運べる
- 大量の銅銭を束ねて管理できる
この「穴あき銭」のデザインは、なんと2000年以上も中国の貨幣形状として受け継がれることになります。
始皇帝の通貨戦争:旧貨幣の強制廃止
統一を果たした始皇帝は、各国がバラバラに使っていた貨幣を一気に統一しました。
改革の内容
- 六国の旧貨幣を完全廃止
- 統一半両貨幣のみを使用
- 私的な貨幣鋳造を厳罰化
この政策は単なる経済改革ではありませんでした。旧貨幣の強制廃棄は、六国の富を一気に減少させる効果があったのです。
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人々が何代も蓄えてきた財産が、ある日突然「紙くず」になる──。これは経済的なショック療法であり、同時に**「もはや六国は存在しない」というメッセージ**でもありました。
通貨統一を通じて、始皇帝は「統一統治」の概念を人々の生活レベルにまで浸透させたのです。
帝国の崩壊:銅不足が招いた金融危機
しかし、完璧に見えた貨幣制度にも終わりが来ます。
秦末期、深刻な金融危機が発生しました。
危機の原因
- 十二神像の鋳造
- 始皇帝は巨大な銅製の神像を作らせた
- 大量の銅が消費され、銅不足に
- 膨大な建築費用
- 万里の長城、阿房宮、始皇帝陵など
- 次々と始まる大規模プロジェクト
- 悪循環の始まり
- 銅が足りないのに貨幣を大量発行
- 半両銭の重量が7.8グラムから4グラム未満に激減
- 通貨価値の暴落(インフレーション)
お金の価値が下がれば、人々の生活は苦しくなります。市場は混乱し、経済は疲弊しました。
この金融危機も、秦が短命に終わった理由の一つと言えるでしょう。
まとめ:通貨は政治支配のツールだった
秦の貨幣改革から学べること
- 通貨統一は経済改革であると同時に政治統一の延長
- 通貨の価値を維持できなければ、帝国も崩壊する
始皇帝は、軍事力だけでなく「お金」という見えない力で天下を支配しようとしました。そして一時は成功しましたが、最終的には自らの野心が経済を破壊したのです。
「穴あき銭」という形は2000年残りましたが、秦という帝国はわずか15年で滅びました。



