逃げ上手の若君
-
諏訪神党とは何だったのか――血縁ではなく「諏訪明神への帰属」で結ばれた武士団
中世の信濃を語るとき、どうしても外せない存在が「諏訪神党」です。 諏訪氏を中心に、海野氏、望月氏、祢津氏など、信濃各地の武士たちが結びついた集団です。ただし、単…
-
持って逃げられなかった家──望月の馬、海野の名、守矢の口伝、禰津の鷹
別稿で、小笠原貞宗という人を追いかけました。北条を裏切って信濃守護になり、その百年後に一族が武田に追われる側になった家です。 そのとき小笠原長時が持って逃げたの…
-
北条時行はなぜ諦めなかったのか──名をもらう者と、名そのものになった者
この人は誰か 北条時行は、鎌倉幕府最後の得宗・北条高時の次男です。 元弘3年(1333年)5月、新田義貞らの軍勢によって鎌倉は落ち、北条一族は東勝寺で自害しまし…
-
『逃げ上手の若君』の郎党は史実か──風間・禰津・望月、三つの氏族
北条時行を支える郎党たち。風間玄蕃、禰津神児(かむろ)、望月亜也子。 彼ら一人ひとりは、史料に見当たらない創作上の人物です。けれども、彼らが背負っている「氏」の…
-
諏訪頼重はなぜ北条時行を匿ったのか──神を宿す家と、神を降ろす家
建武二年(一三三五)、信濃の諏訪から一人の少年が担ぎ出されました。北条高時の遺児、北条時行。担いだのは、諏訪大社上社大祝家の当主・諏訪頼重(法名・照雲)と、その…
-
畠山重忠事件が壊したもの
畠山重忠供養塔 今回、由比ヶ浜から若宮大路を北上した。新田義貞が鎌倉に攻め込んだルートを自分の足で歩いてみたかったからだ。 歩いていると、若宮大路沿いに畠山重忠…
-
前半新田義貞、後半北条高時になって 鎌倉幕府最後の日を たどる 『逃げ上手の若君』
はじめに 元弘三年(1333年)五月、新田義貞の軍勢が鎌倉に殺到し、百五十年にわたって武家政権の中枢であった鎌倉幕府は滅亡しました。 先日、私は由比ヶ浜から鶴岡…
-
五大院宗繁は、なぜ甥を売ったのか ── 「卑怯者」の七日間を追う
## はじめに ── 漫画から鎌倉へ 私が鎌倉時代に興味を持ったきっかけは、松井優征先生の漫画『逃げ上手の若君』でした。北条時行の物語に引き込まれ、それまでまっ…