「ンフフフ…」の特徴的な笑い方で多くのファンを魅了する王騎将軍。キングダムを代表する人気キャラクターですが、そのモデルとなった歴史上の人物については諸説あります。
この記事では、3つの有力説を徹底比較し、真のモデルを探ります。
王騎将軍とは?作中での圧倒的な存在感
まず、キングダムにおける王騎将軍の特徴をおさらいしましょう。
- 圧倒的なカリスマ性と戦場での存在感
- 知略に優れた大将軍として秦を支える
- 「ココココ」「ンフフフ」の独特な笑い方
- 主人公・信の師匠的存在
- 秦の六大将軍の一人
- 中華統一という大きな理想を掲げる
では、この王騎のモデルとされる3人の歴史上の人物を見ていきましょう。
【説1】王齮(おうき):名前は似ているが記録はわずか
最も一般的に言われているのが、**王齮(おうき)**説です。名前の読み方が「王騎」とほぼ同じため、モデルとされてきました。
史記に残る王齮の記録
しかし、史実の王齮について『史記』「始皇本紀」に登場するのは、わずか2回のみです。
記録その1:紀元前247年 秦王政(後の始皇帝)即位時に将軍に任命される
記録その2:紀元前244年 「蒙驁が韓の12か城を取った。王齮が死んだ」
以上。
驚くべきことに、それ以外の記録が一切ありません。
- 戦死なのか病死なのかも不明
- 具体的な軍功の記録なし
- まさに**「モブキャラ扱い」**の将軍
あの圧倒的な王騎将軍のモデルが、これほど地味な記録しかない人物というのは、少し違和感がありませんか?
【説2】王齕(おうこつ):長平の戦いで活躍した将軍
次に候補として挙がるのが**王齕(おうこつ)**です。
王齕の実績
王齕は史実に確かな功績が残されている将軍です。
- 紀元前260年:趙を討って上党を獲得
- 長平の戦いで白起将軍の副将として活躍
- その他多数の武功あり
王齮よりも実績があり、将軍としての存在感もあります。
ただし、王騎将軍が持つ「中華統一への理想」「若き王を支える」「知略と人間性の融合」といった要素とは、やや距離があるように感じられます。
【説3】王翦(おうせん):秦の統一を実現した真の立役者
そして第三の説、そして最も有力と考えられるのが**王翦(おうせん)**です。
王翦とは何者か?
基本プロフィール
- 出身地:頻陽(現在の陝西省)
- 時代:戦国時代末期
- 役職:秦の将軍・軍師
- 最大の功績:秦の六国統一の実行者
王翦は幼少期から軍略の訓練を受け、強靭な肉体と洗練された頭脳を併せ持つ将軍として成長しました。
彼の戦績は、まさに中華統一そのものです。
王翦の輝かしい戦績一覧
紀元前236年 趙を攻撃し、9つの都市を占領
紀元前228年 再び趙を攻撃し、趙王を降伏させる。趙国を事実上滅亡に追い込む
紀元前226年 燕の都を攻略し、燕王を遼東県に逃走させる
紀元前223年(最大の功績) 60万という史上最大級の軍勢を率いて楚を攻める。楚の都・寿春を占領し、楚王を捕らえる
紀元前222年 楚の南部を完全平定し、楚国を滅亡させる
紀元前221年 秦、天下統一を達成
つまり王翦は、趙・燕・楚という強国を次々と滅ぼし、秦の始皇帝による中華統一を実現させた張本人なのです。
王騎と王翦の驚くべき5つの共通点
共通点①:三代続く軍事名門
王翦は三代にわたって秦の将軍を務めた輝かしい軍事一族の出身でした。
これは、王騎が六大将軍という特別な地位にあることと重なります。単なる武将ではなく、代々続く名門の威厳を持っているという設定です。
共通点②:理性と優しさを併せ持つ名将
長安君の反乱を平定したエピソード
紀元前239年、秦王の弟・長安君が部下に扇動され反乱を起こしました。
普通なら武力で鎮圧するところですが、王翦は違いました。理性と優しさを込めた説得の手紙を送り、反乱を平定したのです。
このエピソードは、王騎が単なる武力の化身ではなく、深い洞察力と人間愛を持つキャラクターとして描かれていることと完全に一致します。
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共通点③:若き君主の真の後見人
王翦の最も重要な功績の一つが、若き秦王政(後の始皇帝)を権力者たちから守ったことです。
当時の危機的状況
- 秦の始皇帝はまだ若く、国家は大臣の呂不韋に支配されていた
- 呂不韋は皇太后と不倫関係にあった実力者
- さらに呂不韋は皇太后に偽の宦官**嫪毐(ろうあい)**を差し出していた
- 嫪毐は皇太后と2人の隠し子をもうけ、巨大な勢力を築いていた
王翦の巧妙な護衛作戦
紀元前238年、秦王政が式典のため皇太后の滞在する永城に赴く際、王翦は以下の布陣を敷きました。
- 首都襄陽の守備:王翦自らが兵を率いて守護
- 王の護衛:3万の精鋭兵を派遣
- 呂不韋への対応:秦王が首都を出ると呂不韋が首都掌握を狙ったが、王翦は動じず対応
案の定、嫪毐が反乱を起こし秦王の宮殿を襲撃しましたが、王翦の派遣した軍隊が見事に鎮圧。
秦王は嫪毐を斬首し、王翦の助言により呂不韋派を粛清、呂不韋を死罪に処しました。
この出来事により、秦の始皇帝は国家の全権を掌握し、中華統一への道が開かれたのです。
キングダムの王騎との類似性
この史実は、キングダムで王騎が政と信を導き、中華統一の理想を託す姿と驚くほど重なります。
王騎は物語の中で、若き王・政の真の後見人として描かれています。そして信に対しても、将軍としてだけでなく、人としての成長を見守る師のような存在です。
共通点④:中華統一の立役者
- 王翦:実際に中華統一を成し遂げた
- 王騎:中華統一の理想を体現し、信に託す
共通点⑤:卓越した軍略と人望
- 王翦:数々の戦いで勝利し、60万の軍を率いる
- 王騎:秦の怪鳥として恐れられ、絶大な人望を持つ
王翦こそが王騎の真のモデルである理由
従来モデルとされてきた王齮や王齕は、史実にほとんど記録が残っていません。名前が似ているという理由だけで候補に挙げられてきました。
一方、王翦は:
✅ 詳細な戦績が記録されている
✅ 人物像が明確
✅ 中華統一における役割が決定的
✅ 始皇帝との関係性が明確
どちらが王騎のモデルとして相応しいかは、一目瞭然です。
作者が王翦から王騎を創造した理由
キングダムの作者・原泰久先生は、史実の王翦をフィクションに昇華させる際、以下の要素を加えました。
史実の王翦
- 中華統一の実行者
- 理性と優しさ
- 若き君主の後見人
- 卓越した軍略
- 三代続く名門
フィクションの王騎
- 独特な個性と話し方(「ンフフフ」)
- 圧倒的な存在感とカリスマ性
- 信への深い愛情と指導
- 中華統一への理想
- 六大将軍としての権威
史実の重厚さとフィクションの魅力を見事に融合させたのが、王騎というキャラクターなのです。
なぜ王翦の名前が使われなかったのか?
これは推測ですが、いくつかの理由が考えられます。
理由1:キングダムには既に王翦が登場している
作中で別キャラクターとして王翦が存在するため、混乱を避けた
理由2:史実の王齮の名前を借りた
名前の響きが良く、キャラクター性を際立たせられる
理由3:複数の史実人物の要素を統合
王翦の業績と王齮の名前を組み合わせた創作
いずれにせよ、王騎のモデルが王翦であるという説は、史実とフィクションの関係を考える上で非常に興味深いものです。
まとめ:真の歴史と創作の融合が生んだ名キャラクター
王騎の真のモデルが王翦だとすると、キングダムの魅力がより深く理解できます。
史実の王翦は、実際に中華統一を果たした偉大な将軍でした。その知略、人間性、君主への忠誠、そして統一への貢献は、まさに理想的な大将軍の姿そのものです。
作者はこの史実上の偉大な人物を、エンターテインメント作品に相応しい魅力的なキャラクターとして再創造しました。
王騎の人気の秘密は、実在した偉大な将軍・王翦の真の魅力が、フィクションとして昇華されているからなのかもしれません。
あなたはどう思いますか?
王騎のモデルは誰だと思いますか?
従来から言われている説を考えると、王騎のモデルは王翦であるという結論が最も説得力があるのではないでしょうか。