※本サイトは、アフィリエイト広告を利用し収益を得て運営しています

【キングダム考察】蒲鶮は人か地名か?成蟜の乱の真実に迫る

人気漫画「キングダム」で描かれる呂不韋と政の政争において、重要な役割を果たす成蟜の屯留事件。

この事件で暗躍する蒲鶮(ほかく)について、史実を踏まえて考察してみました。

キングダムにおける蒲鶮の描写

「キングダム」では、呂不韋vs.政の政争が激化する中、

成蟜が妻・瑠衣の実家である屯留へ一時帰宅します。

しかし、絶妙なタイミングで趙軍が屯留を攻撃。

成蟜は趙軍を退けて屯留入城に成功するものの、

新代官である蒲鶮によって地下牢に幽閉されてしまいます。

そして蒲鶮は、成蟜を首謀者に仕立て上げて謀反を起こします。

しかし、この計画の真の黒幕は成蟜でも蒲鶮でもなく、呂不韋だったのです。

史実における「蒲鶮」の正体

蒲鶮は地名だった?

調べてみると、蒲鶮は実在する古代の邑(ゆう)の名前でした。

邑とは、古代中国の都市国家的な集住地のことです。

『史記』秦始皇紀には、始皇帝の弟である成蟜の乱に関連して、

屯留とともに蒲鶮が地名として登場しています。

史料によれば、秦の始皇帝8年に蒲鶮の住民が居住地を移され、

屯留にて反乱を起こしたという解釈ができるそうです。

人物ではなく兵士集団を指す説

興味深いことに、蒲鶮は特定の人物を指しているのではなく、

成蟜の謀反に従った兵士たちを指しているという見方もあります。

広告

つまり、「キングダム」で描かれる蒲鶮という個人は、

作者による創作の可能性が高いということになります。

成蟜の最期について諸説あり

史実における成蟜の運命についても、複数の説が存在します。

説①:死罪を免れた説

謀反を起こしても死刑にはならなかったという説があり、「キングダム」はこの説を採用しているようです。

説②:死刑宣告説

屯留に到着後、謀反を企てたとして死刑を宣告されたという説。

説③:自害説

謀反が失敗した成蟜は自害し、武官たちは皆斬首されたという資料もあります。

なぜ成蟜は反乱を起こしたのか

成蟜が反乱を起こした動機についても、複数の説があります。

政の出自への疑問説

秦王政が荘襄王の血筋ではなく、王位継承が正当ではないという噂を成蟜が信じたため。

趙の謀略説

趙が密かに成蟜を引き入れ、秦の王とすることを約束したため。

ただし、成蟜が反乱の真の首謀者だったのか、

それとも誰かに担がれただけなのかは、史実でも不明のままです。

まとめ

「キングダム」における蒲鶮というキャラクターは、

史実の地名や兵士集団を個人として創作したものと考えられます。

しかし、成蟜の乱という歴史的事件そのものは実在しており、

作者は史実を巧みにアレンジして、呂不韋の政治的謀略を描き出していることがわかります。

 

 

広告

中国ドラマ

広告