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昌平君は実在した!史実では楚の王族から秦の宰相に、最後は秦を裏切り楚王に

キングダムの昌平君:呂不韋から嬴政へ

当初は呂不韋派の四柱の一人

キングダムでは、昌平君は秦軍を支える天才軍師として描かれています。

当初は相国・呂不韋の「呂氏四柱」の一人として、後の始皇帝・嬴政と対立する立場にありました。

嫪毐の反乱で立場を明確に

転機となったのが嫪毐の反乱です。

このとき昌平君は呂不韋陣営から離反し、昌文君とともに反乱討伐を宣言。秦への忠誠を示す重要な決断でした。


【史実】昌平君の驚きの経歴

楚の王族から秦の宰相へ

史実の昌平君は楚の王族として生まれながら、幼少期から秦で育ちました。

同じく楚出身の華陽太后の寵愛を受け、着実に出世。嫪毐の反乱鎮圧で大功を立て、ついには秦の宰相という最高位まで上り詰めます。

紀元前225年、運命の決断

しかし人生は一変します。

始皇帝が楚平定のため昌平君を派遣した直後、彼は突如として秦に反旗を翻したのです。

そして楚王に即位。秦に対する最後の抵抗を続けることになります。


なぜ昌平君は秦を「裏切った」のか?3つの理由

①血の絆:楚への深い愛情

最大の理由は故郷への想いです。

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楚の王族として生まれた彼にとって、秦による祖国滅亡は耐え難いものでした。

長年仕えた秦への忠誠か、血の繋がる楚への情か。究極の選択で、彼は故郷を選んだのです。

②政治的立場の変化

華陽太后の死去が転機でした。

太后の庇護を失った昌平君は、始皇帝によって降格処分に。この処遇の変化が、忠誠心に影響を与えたと考えられます。

③楚貴族からの強い勧誘

楚の宮廷は、王族の血を引く昌平君を必死に勧誘しました。

楚復活を夢見る貴族たちにとって、彼の存在は希望の象徴だったのです。


昌平君の最期:悲劇の楚王

楚王として即位した昌平君でしたが、秦の圧倒的な軍事力の前に敗北。

最終的に戦死という悲劇的な結末を迎えます。

彼の反抗は、古き楚という国の最後の輝きでもありました。


まとめ:裏切りか、それとも忠義か

昌平君を単純に「裏切り者」と呼ぶことはできません。

秦への忠誠楚への愛情、そして政治的現実――これらの狭間で苦悩した一人の人間だと思います。

 

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