「百戦百勝は善の善なる者に非ず。戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり」
百回戦って百回勝つことは最善ではなく、戦わずに敵を降伏させることこそが最善だ
孫子のこの有名な言葉は、単なる理想論ではなかった。紀元前3世紀、秦国はまさにこの原則を実践し、中国初の統一帝国を築き上げた。その過程で秦が用いたのは、剣よりも鋭い武器──外交と謀略だった。
戦国時代の構図──七国の均衡
紀元前4世紀から3世紀にかけて、中国大陸には七つの強国が割拠していた。秦、楚、斉、燕、韓、魏、趙。いずれも相応の軍事力を持ち、正面から戦えば勝者も大きな損失を被る状況だった。
この均衡を破るために、秦は一つの戦略を採用した。それが范雎という政治家が提唱した「遠交近攻」である。
遠交近攻──孤立化の芸術
遠交近攻とは「遠くの国と同盟し、近くの国を攻める」という戦略だ。一見シンプルだが、その効果は絶大だった。
秦の地理的位置は西方にあり、東方の斉国や燕国とは直接国境を接していなかった。秦はこの地理的条件を最大限に活用した。
第一段階:遠方との友好関係
秦は斉国や燕国に使者を送り、友好関係を築いた。表向きは対等な同盟だが、その真の目的は「秦が近隣国を攻撃しても、遠方の国が援軍を送らない」環境を作ることだった。
第二段階:近隣国の各個撃破
遠方の大国が中立を保つ中、秦は隣接する韓、魏、趙を順次攻撃した。これらの国々は助けを求めたが、斉や楚は「秦との同盟」を理由に、あるいは「自国への脅威ではない」と判断して動かなかった。
気づいた時には、韓も魏も趙も滅亡し、斉や楚は秦と直接国境を接する状況になっていた。
合従策の破壊──同盟を許さない
秦に対抗するため、東方の六国は「合従」という軍事同盟を結ぼうとした。六国が団結すれば、秦に対抗できる。これは秦にとって最大の脅威だった。
秦はこの同盟を破壊するために、あらゆる手段を講じた。
賄賂と外交
秦は莫大な財宝を使って、各国の重臣を買収した。合従策を主張する政治家を失脚させ、親秦派を要職に就けた。斉の宰相・后勝もその一人で、秦からの贈り物に目がくらみ、秦との同盟を維持し続けた。
情報戦と離間策
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秦は各国の間に不信の種を蒔いた。「楚が密かに秦と講和しようとしている」「趙が裏切るつもりだ」といった噂を流し、同盟国同士の疑心暗鬼を煽った。
団結すれば勝てたはずの六国は、互いに疑い合い、決定的な瞬間に援軍を送らなかった。
最後の大国・斉の降伏
紀元前221年、秦の大軍が斉国の国境に迫った時、斉は既に完全に孤立していた。
韓は滅び、魏は滅び、趙は滅び、燕は滅び、楚も滅びた。かつて「合従」を共に語った同盟国は、一つも残っていなかった。
斉の君主は遅すぎる覚醒を迎えた。秦との「友好関係」は罠だった。その間に秦は着々と周囲を制圧し、斉を孤立させていたのだ。
軍事的には、斉にもまだ戦う力はあった。しかし戦ったところで、援軍は来ない。勝っても次はどこと戦うのか。消耗した末に結局は秦に呑み込まれるだけだ。
斉王建は戦わずして降伏した。秦は一兵も失うことなく、最後の大国を手に入れた。
現代に通じる教訓
秦の戦略から、私たちは何を学べるだろうか。
1. 同盟の本質を見抜く
秦と斉の「同盟」は、対等な関係ではなく、一方的な時間稼ぎだった。現代のビジネスや国際関係でも、表面的な友好関係の背後にある真の意図を見抜くことが重要だ。
2. 孤立の危険性
斉は他国が次々と滅ぼされるのを傍観した。「自分には関係ない」と思っていたが、最後には完全に孤立していた。問題を他人事と考えることの危険性を示している。
3. 団結の力と脆さ
合従策が成功していれば、秦の天下統一は不可能だった。しかし疑心暗鬼と私利私欲によって同盟は瓦解した。チームワークの重要性と、それを維持することの難しさを物語っている。
4. 最小の犠牲で最大の成果を
秦は正面から全ての国と戦えば、勝っても国力は疲弊していただろう。外交と謀略を駆使することで、損失を最小限に抑えながら天下統一を成し遂げた。
おわりに
「戦わずして勝つ」とは、戦いを避けることではない。戦う前に勝利を確定させることだ。
秦は外交によって敵を孤立させ、謀略によって同盟を破壊し、時間をかけて一つずつ駒を取っていった。最後の一手が打たれる時には、もはや相手に選択肢は残されていなかった。
これこそが「戦わずして勝つ」の真髄である。力任せに戦うのではなく、知恵と戦略によって、戦わずに済む状況を作り出す。それが最も優れた勝利なのだ。



