遥かなる旅路
今でこそ飛行機で日本からボストンまで13時間程度の旅ですが、クラーク博士の時代は全く違いました。アメリカ東海岸から大陸横断鉄道に乗って延々とアメリカ大陸を横断し、ロサンゼルスからさらに太平洋を船で渡らなければならない。そんな過酷な旅路を経て、遥か極東の札幌まで来たのです。
そんな遠くまでよく来たものだと思うのですが、その理由はクラーク博士の生まれ育ったマサチューセッツ州を始めとするニューイングランド地方の気風にあったのではないでしょうか。
ニューイングランドの精神
マサチューセッツ州の車のナンバープレートには「The Spirit of America(アメリカの精神)」、隣のニューハンプシャー州には「LIVE FREE OR DIE(自由なくば死を)」と刻まれています。
これらの言葉は単なる装飾ではありません。アメリカ独立戦争以来の気風が今なお根強く残っている地方なのです。自由を求め、新天地を切り開く開拓者精神が、この地に息づいているのです。
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プリマス・プランテーションの記憶
プリマス・プランテーションを見学したときのことを思い出します。1620年、メイフラワー号で新大陸にやってきた清教徒たちが最初に築いた植民地。荒野を切り開き、厳しい自然と闘いながら新しい共同体を作り上げた場所です。
きっとクラーク博士の頭の中には、人口わずか2500人の札幌の街とプリマス・プランテーションの姿が重なって見えたのでしょう。
太平洋を渡りながら
クラーク博士は太平洋を渡りながら、きっとメイフラワー号を思い描いていたに違いありません。メイフラワー号の乗客たちは新大陆への上陸まで9か月を要していました。それを思えば、太平洋横断もそれほど遠くは感じなかったのかもしれません。
受け継がれる開拓者精神
ニューイングランドの清教徒たちが大西洋を渡って新天地を求めたように、クラーク博士もまた太平洋を渡って未知の北海道へやってきました。時代は違えど、そこに流れているのは同じ開拓者精神なのです。
「Boys, be ambitious!(少年よ、大志を抱け)」という有名な言葉も、この文脈で理解すると深い意味を持ちます。それは単なる激励の言葉ではなく、新天地を切り開く者たちへの、先人から後進への魂のバトンタッチだったのかもしれません。