今でこそ飛行機もありますので日本からボストンまでは13時間程度ですか、 その時代はクラーク博士はアメリカの東海岸から大陸横断鉄道 に乗って延々とアメリカ大陸を横断し、 ロサンゼルスからまた太平洋を船で 渡らなくてはなりませんでした。
そんな遠くまでよく来たなと思ったのですが、 クラーク博士の生まれ育ったマサチューセッツ州を始めとするニューイングランド地方の気風に原因があると思いました。
マサチューセッツ州の車のナンバープレートには、The spirit of America アメリカの精神
広告
隣のニューハンプシャー州の車のナンバープレートには、LIVE FREE OR DIE 自由なくば死を
と書かれています。
アメリカ独立戦争以来の気風がまだ根強く残っている地方なのだと思います。
プリマスのプランテーションを見に行ったときのことを思い出しました。
きっとクラーク博士の頭の中には、 札幌2500人の街とプリマスプランテーション が重なったのでしょう。
クラーク博士は、太平洋を渡りながらメイフラワー号を思い描いていたのだと思います。
メイフラワー号の乗客は上陸まで9ヶ月を要していましたから、 それほど遠くは感じなかったのでしょう。