西安碑林博物館を歩きながら、数々の石碑に刻まれた文字を眺めていると、馴染み深い言葉に次々と出会いました。論語でお馴染みの「六十にして天命を知る」や「温故知新」といった儒教の教えが、千年以上前の石に深々と刻み込まれているのを目の当たりにしました。
玄宗皇帝の意外な教養
博物館で特に印象的だったのは、顔真卿の名筆と並んで展示されている玄宗皇帝の書でした。楊貴妃との恋愛にのめり込み、政治を疎かにした皇帝というイメージが強かった玄宗ですが、その筆跡を見ると、確かな教養と深い学識を感じ取ることができます。
考えてみれば、玄宗の治世前半は「貞観の治」と呼ばれる太平の世を築いた名君でした。一人の人間の複雑さ、多面性を改めて思い知らされる瞬間でした。儒教的教養は、確かに為政者にとって重要な素養だったのです。
石碑が語る儒教の重み
石に刻まれた儒教の教えを眺めているうちに、最初は感動していた気持ちが、次第に複雑なものに変わっていきました。これらの美しい言葉の背後に、長い間中国社会を支配してきた思想体系の重さを感じ始めたのです。
「温故知新」や「学而時習之」といった学問への勧めは確かに素晴らしいものです。しかし、同時に儒教思想には厳格な社会的序列や性別役割分担も含まれていました。
女性にとっての「石の壁」
特に女性にとって、儒教思想がどれほど重い枷となっていたかを考えると、心が重くなります。現代アメリカで語られる「ガラスの天井」どころか、まさに「石の壁」として立ちはだかっていたのではないでしょうか。
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儒教の「三従の教え」では、女性は幼い時は父に従い、嫁いでは夫に従い、老いては子に従うべきとされました。また「女子と小人は養い難し」という言葉に象徴されるように、女性の知的能力や社会参加は基本的に軽視されていました。
思想が石に刻まれる意味
これらの思想が石に刻まれ、後世に永続的に伝えられることの重さを考えずにはいられません。石碑は単なる記念物ではなく、その思想を不変の真理として固定化し、社会に浸透させる装置でもあったのです。
美しい文字で刻まれた教えほど、その正しさが疑われることなく受け入れられやすくなります。石の権威が思想の権威を強化し、変化を拒む保守的な力として機能していた側面もあったでしょう。
現代への感謝と課題
博物館を後にしながら、現代日本に生まれた幸運を改めて実感しました。女性が学問を修め、職業を選択し、社会で活躍できる現在の環境は、決して当然のものではありません。
しかし同時に、現代でも完全に解決されていない課題があることも忘れてはならないでしょう。形は変われど、固定的な性別役割への期待や社会的偏見は、今でも様々な形で存在しています。
歴史から学ぶこと
石に刻まれた儒教思想を前にして感じたのは、思想や価値観を絶対視することの危険性でした。どれほど美しく、どれほど権威に裏打ちされた教えであっても、時代とともに見直され、発展していく必要があります。
古の知恵を尊重しながらも、それに縛られることなく、より良い社会を築いていく。石碑が教えてくれたのは、そんな柔軟な姿勢の大切さだったのかもしれません。