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【西安碑林博物館】林則徐が扁額に込めた意図的な「誤字」の謎|アヘン戦争の英雄が残したメッセージとは

西安碑林博物館を訪れた際、ガイドさんから興味深い話を聞きました。博物館の扁額は、あの林則徐が書いたものだというのです。しかし、よく見ると不可解な点があります。「碑」の字の上部の点が欠けているのです。

林則徐という人物

林則徐といえば、アヘン戦争の引き金となったアヘン取り締まりを断行した清朝の官僚として有名です。当時の清の官僚の多くは広東の商人から賄賂を受け取っていましたが、林則徐の厳格な取り締まりによりその金脈が絶たれ、恨みを買うことになりました。さらに林則徐はイギリス商人が所持していたアヘンを全て没収・処分したため、怒ったイギリス商人たちの抗議がアヘン戦争へと発展してしまいました。

加えて、林則徐は首都圏の再開発についても上奏していましたが、これが当時の出世コースであった首都圏総督への間接的な批判と受け取られ、政府高官からも睨まれることとなりました。こうして四面楚歌の状況に追い込まれた結果、欽差大臣を解任され、西域辺境の新疆イリへと左遷されることになったのです。

先進的な国際感覚

しかし林則徐の真の偉大さは、その後の行動にあります。左遷先の新疆でも農地改革を行うなど善政を敷き、常に清廉潔白で私事を省みず、どのような境遇にあっても国家のことを考え続けました。

特に注目すべきは、イギリスとの交渉の際に英字誌や西欧の地理書、国際法や兵器等に関する文献を翻訳・収集して研究していたことです。19世紀前半の中国で、このような先進的な国際感覚を持つ官僚は極めて稀でした。

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扁額の謎めいた「誤字」

新疆イリへの赴任途上で西安に立ち寄った際、地元の人々が学問で名高い林則徐に扁額の揮毫を依頼しました。ところが、その扁額をよく見ると、「碑」の字に違和感があります。本来あるべき上部の点が欠けているのです。あれほどの学識を持つ林則徐が、単純な誤字を書くはずがありません。

「碑」に込められた深い思い

「碑」とは、後世に伝えるために石面に文字を彫って記念として立てた石のことです。中国の過去の業績や教えを刻むものと考えると、林則徐は既存の碑林の意味を理解しながらも、「これだけでは何か足りない、何かを付け加えるべきだ」と考えたのではないでしょうか。

点を欠くことで、完成されたものではなく、まだ発展途上であることを示唆した可能性があります。西欧の知識に触れた林則徐にとって、伝統的な中国の学問だけでは時代の要請に応えきれないという思いがあり、その「未完成感」や「発展の余地」を、意図的に欠けた点で表現したのかもしれません。

時代を超えたメッセージ

この扁額は、単なる書の作品を超えて、変化する世界に対する林則徐の深い洞察を示しているように思えます。伝統を重んじながらも、それに安住することなく、常に新しい知識を取り入れ発展させていく必要性を、一つの欠けた点に込めたのです。

現代を生きる私たちにとっても、この姿勢は示唆に富んでいます。過去の知恵を大切にしながらも、時代とともに学び続け、発展させていくことの重要性を、林則徐は150年以上前に西安碑林博物館の扁額として訴えていたのではないでしょうか。

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