運命に翻弄された一人の女性
川島廉子さん。その名前を知る人は、今ではそう多くないかもしれません。しかし、彼女の生涯は、激動の20世紀を生きた一人の女性の、言葉にできないほどの苦悩と葛藤に満ちたものでした。
清朝王女として生まれて
廉子さんは肅親王家の王女として生まれました。清朝という由緒ある家柄に生まれながら、幼くして川島家の養女となり、日本で育てられます。そこで彼女は日本の文化を学び、日本人としてのアイデンティティを育んでいきました。
やがて満洲国国防婦人会で活躍するようになった廉子さん。しかし、1945年の敗戦とともに、彼女の人生は一変します。満洲国は崩壊し、財産は没収され、国民党支配下で貧しい生活を余儀なくされました。
祖国で「不良分子」とされて
共産党政権が樹立されると、廉子さんの苦難はさらに深まります。王族出身であること、日本に協力した経歴。それらすべてが「不良分子」の烙印を押す理由となり、彼女は強制労働を強いられることになったのです。
文化大革命の嵐が吹き荒れた時代、親族は投獄され、廉子さん自身も「日本人のスパイだ」と糾弾されました。毎日が恐怖との戦いでした。
彼女は何を思ったのでしょうか。日本で育てられ、親日派にならざるを得なかった自分。中国に生まれながら、中国では受け入れられない自分。どちらの国にも完全には属せない、その孤独はどれほどのものだったでしょう。
30年の苦しみの果てに
終戦後、多くの人々が海外へと逃れました。しかし廉子さんは違いました。彼女は中国に残ることを選んだのです。祖国の独立を喜び、新しい中国のために働きたいと願って。
しかし、その願いは叶いませんでした。30年にわたる苦しみを嘗め尽くし、ついに1981年、67歳で日本に帰国。そして1994年、永遠の眠りにつきました。
娘が綴った母の物語
廉子さんの娘、川島尚子さんが書き表した書籍「望郷」。
北京生まれ北京育ちの尚子さんは、母親の出自ゆえに進学などで様々な差別を受けてきました。そのため、母親を恨んだ時期もあったといいます。
しかし、母の人生を深く知るにつれ、尚子さんは理解したのです。母は自分で選んだわけではない運命を背負わされ、どちらの国でも苦しみ続けたのだと。
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尚子さんは、母の悲劇を繰り返さないために、この本を執筆したといいます。
「望郷」とは、どこへの想いなのか
タイトルの「望郷」。それは日本への望郷なのでしょうか、それとも中国への望郷なのでしょうか。
おそらく、その答えは一つではないのだと思います。
廉子さんにとって、日本は幼い頃から育った場所。文化を学び、心の拠り所を見出した場所でした。一方、中国は生まれた場所であり、血のつながる祖国でした。
彼女が最後に望んだのは、どちらか一方の国ではなく、両方の国から受け入れられること。あるいは、国籍や出自に関係なく、一人の人間として尊重される場所だったのかもしれません。
二つの祖国の間で引き裂かれた一人の女性の生涯。それは、時代に翻弄された無数の人々の物語の一つであり、同時に、私たちに問いかけています。
国家とは何か。アイデンティティとは何か。
望郷 日中歴史の波間に生きた清朝王女・川島廉子の生涯/集英社/川島尚子