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川島芳子の墓参りに行ったら、川島浪速とともに合葬されていた。そばに肅親王善耆の書があった

川島芳子の墓はどこにあるのか

川島芳子の墓は、長野県松本市正麟寺にあります。

川島浪速の墓に合葬される形です。

2023年、3月「川島芳子を偲ぶ会」のメンバーに連れて行ってもらって初めてお参りに行ってきました。

そばに肅親王善耆の書が書かれた石碑がありました。

川島浪速とはどういう人か

1965年、(江戸時代)松本藩士の家に長男として生まれる。

1975年(明治時代)父母とともに上京

1982年、東京外国語学校入学その後中退して中国へ

日清戦争で陸軍通訳となる

1900年、義和団事件がおき、天津から上陸して北京に突入

連合国は紫禁城を砲撃しようとしていました。

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しかし、文化遺産を守るべきだと考えた川島浪速は、中国語で紫禁城守備兵を説得して、開城させました。

それで、紫禁城は無事に保護できました。

肅親王善耆と川島浪速はどのように知り合ったか

1901年講和条約締結されました。

清国政府は日本軍の創設した警察制度を使って北京の治安を維持したいと考え、日本軍に川島浪速の借用を求めました。

清朝は川島浪速を清朝の官吏にしました。

川島浪速は北京警務学堂の総監督になり、警察官を養成し、清朝警察制度を確立しました。

その直属上司が肅親王善耆でした。

そうした経緯で肅親王善耆は川島浪速を気に入ったのです。

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