これは個人的な体験と考察に基づく記事です。歴史的解釈には異論もあることをご了承ください。
はじめに
私たちは長い間、札幌時計台を「日本初の時計台」として理解してきました。江戸時代まで「ドラで三つ」といった方法で時を告げていた日本に、西洋の「何時」という時間概念を伝えるための画期的な施設として。
しかし、マサチューセッツ州プリマス・プランテーションを訪れた時、個人的な印象として、私は「ミーティングハウス」と札幌時計台の類似性を強く感じたのです。
プリマス・プランテーションで見つけた原型
17世紀アメリカ入植地の復元
1620年、メイフラワー号で到着したピルグリム・ファーザーズたちが築いた17世紀の英国村が忠実に復元されているプリマス・プランテーション。そこで私が目にしたのは、丘の中腹にそびえるひときわ大きな建物でした。
ケープコッド湾を一望できるこの建物は「フォート」や「ミーティングハウス」と呼ばれ、以下の三つの機能を持っていました:
- 軍事施設:入植地を守るための要塞機能
- 礼拝所:コミュニティの精神的支柱となる教会機能
- 裁判所:法的な問題を解決する司法機能
多機能建築の意味
限られた資源の中で、入植者たちは一つの建物に複数の重要な機能を集約する必要がありました。これは単なる便宜上の理由ではなく、コミュニティ形成の核となる戦略的な設計だったのです。
クラーク博士の壮大な計画への推察
この解釈には異論もあるでしょうが、私は、250年の時を経て、クラーク博士は北海道という新天地で、意図的にプリマス・プランテーションのモデルを再現しようとしたのではないかと感じました。
札幌時計台の真の姿
正式名称が語る真実
私たちが「札幌時計台」と呼んでいる建物の正式名称は「旧札幌農学校演武場」です。この名前こそが、その真の機能を示しています:
- 教育施設:札幌農学校の講堂として学問を教授
- 宗教施設:キリスト教の教えを説く礼拝の場として
- 軍事訓練施設:「演武場」の名が示す通り、学生たちの軍事教練の場として
展示物が語る真実
私が札幌時計台建物内部を見学した時、最も驚いたのは時計の展示ではありませんでした。そこには当時実際に使われていた教科書や軍事訓練の道具が展示されていたのです。
それは西洋時間を告知するための施設ではなく、まさにプリマス・プランテーションのミーティングハウスと同じような多機能建築物のように感じたのです。
「時計台」という名前の皮肉
現在、この建物が「時計台」として親しまれているのは、ある意味で歴史の皮肉です。確かに時計は設置されていましたが、それは建物の主要機能ではありませんでした。
時計は、西洋式教育システムを導入するために必要な「時間割」という概念を日本に根付かせるための補助的な装置に過ぎなかったのではないでしょうか。
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私は「日本初の時計台」という表面的な理解に惑わされて、この建物の正式名称は「旧札幌農学校演武場」であることを見過ごしていました。
クラーク博士の歴史観を考察する
単なる教師を超えた存在
クラーク博士は、単に西洋の知識を日本に伝えようとしていたのではないと思います。彼は、日本に来るにあたって日本という新大陸にプリマス・プランテーションを作り、そこから北海道開拓をしようとしていたのではないでしょうか。
教育への献身的な取り組み
もし単に知識を教えるだけの先生であったならば、ここまでの献身は見せなかったでしょう:
- マサチューセッツ農学大学のカリキュラムをほぼそのまま札幌農学校に移植
- 講義をすべて英語で行う
- 生徒は先生の話したことをノートに書き写す
- クラーク博士は毎晩30名以上の生徒のノートを集めて、内容を正したり、スペルチェックをして返していた
これらの行動は、単なる教育者ではなく、新しいコミュニティの創設者としての使命感を物語っているように思えます。
実証済みの成功モデルの移植
教育・宗教・軍事の三機能を一つの建物に集約するという発想は、限られた資源の中で効率的にコミュニティを形成するための実証済みの手法でした。250年前にピルグリムたちが実践し、成功したモデルを、クラーク博士は北海道で再現したのではないでしょうか。
隠されていた建国神話の移植
クラーク博士は、ピルグリム・ファーザーズの精神を北海道の大地に根付かせようとしていたのでしょうか。
「Boys, be ambitious」という有名な言葉も、新天地で理想的な社会を築こうとするピルグリムたちの精神を日本の青年たちに伝えようとしたメッセージだったように思います。
新たな視点がもたらすもの
個人的な発見の意味
今回のプリマス・プランテーション訪問は、私にとって日本近代史を見直す転機となりました。札幌時計台は「日本初の時計台」ではなく、「アメリカ建国モデルの日本版ミーティングハウス」だったのだと思います。
私たちは長い間、表面的な「時計台」という名前に惑わされていました。
歴史認識の転換点
明治維新における西洋化の本質は、さまざまな国からのselective importation(選択的移入)でした。クラークを招聘した明治の指導者たちは、北海道開拓事業にアメリカの開拓事業精神を取り入れたいと思ったのではないでしょうか。
おわりに
この考察は個人的な体験と印象に基づくものです。歴史的解釈には様々な見方があり、専門家の間でも議論が分かれることがあります。
次回札幌を訪れる際は、「時計台」ではなく「札幌のミーティングハウス」として、この建物を見上げてみてください。そこには、クラーク博士によって移植されたかもしれないアメリカ建国の精神と、日本近代化の隠された側面が込められているのかもしれません。
時を告げる鐘の音に耳を傾けながら、この建物が本当に告げていたのは「時刻」ではなく、「新時代の幕開け」だったことが想像できるのえはないでしょうか。