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安禄山はなぜ玄宗皇帝に近づけたのか―ソグド商業ネットワークから見る安史の乱

はじめに

安史の乱を起こした安禄山は、ソグド人と匈奴の混血であったと伝えられています。唐の都・長安は国際都市として知られていましたが、漢民族でもない安禄山が、なぜ玄宗皇帝や楊貴妃の寵愛を受けるほどまでに宮廷の中枢に入り込めたのでしょうか。

一般には「話術に長けていた」と説明されますが、それだけで皇帝の信頼を得られるものでしょうか。本記事では、ソグド商業ネットワークという視点から、安禄山の台頭と安史の乱の背景を探ります。

安禄山が玄宗皇帝に近づけた理由

賄賂だけではない―莫大な富の提供

安禄山が宮廷に入り込むには、確かに多くの人々に賄賂をばらまく必要があったでしょう。しかし、玄宗皇帝や楊貴妃の寵愛を受け続けたのは、単なる話術や賄賂だけが理由ではないはずです。

彼らにとってとんでもないうまみを与え続けたからこそ、臣下が度々「安禄山は危険だ」と進言しても、玄宗皇帝は安禄山を遠ざけることができなかったのではないでしょうか。

おそらく安禄山は、玄宗皇帝と楊貴妃に対して、多額の金銭や貴重な品物を継続的に献上していたと考えられます。この莫大な富の源泉こそが、ソグド商業ネットワークだったのです。

ソグド商人ではなく「ソグド商社」

シルクロードを支配した商業民族

ペルシア系民族であるソグド人は、現在のウズベキスタンとタジキスタンにまたがるソグディアナ地方を故郷とする民族です。彼らは「ソグド商人」「隊商の民」と呼ばれ、シルクロードの交易を一手に担っていました。

ソグド人は、シルクロード沿いに広大な商業ネットワークを築き上げました。その拠点は以下の地域に及びます。

  • イラン
  • インド
  • カスピ海周辺
  • 中央アジア
  • モンゴル平原
  • 中国

驚くべきことに、長安で仕入れた商品は最低でも250倍の値段で西方社会で売れたといわれています。この莫大な利益こそが、ソグド商人の力の源泉でした。

組織的な商業活動

安禄山の背後にあったのは、単なる個人商人ではなく、ソグド商社とも呼べる組織的な商業ネットワークだったと考えられます。

ソグド人の中国拠点における主要な仕事は、唐王朝に入り込んで役人を抱き込むことだったでしょう。そうすれば、商品の仕入れを安価に、かつ大量に行うことができます。

そこで得た莫大な利益をさらに賄賂として使えば、皇帝さえも抱き込むことが可能になります。そして皇帝を抱き込めば、さらに商業活動がやりやすくなる――このような好循環が生まれていたのではないでしょうか。

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ソグド人を取り巻く国際情勢の変化

アッバース朝による包囲

ソグディアナは5世紀には繁栄を誇っていましたが、722年にアッバース朝の軍勢に包囲されました。以後およそ50年間、ソグド人はアッバース朝の支配を受けることになります。

そして8世紀末には町は放棄され、ソグディアナに住んでいたソグド人はいなくなりました。

では、ソグド人はどこへ行ったのでしょうか。

タラスの戦い(751年)―運命の分岐点

751年、唐とアッバース朝がタラス河畔で激突しました。この戦いの結果は、ソグド人にとって重大な意味を持ちました。

この戦いでは、ソグド人と近い遊牧民族であるカルルクの裏切りにより、唐が敗北しました。カルルクはもともと唐に服従していた遊牧民族でしたが、この機会に唐を叩いた方が自分たちにとって有利になると判断し、裏切って唐軍を全滅させたのです。

おそらく、この情報をソグド人が事前に知っていたのではないでしょうか。そうであれば、ソグド人にとって唐とアッバース朝のどちらにつくべきかという選択は、極めて重要な戦略的判断だったはずです。

安史の乱の真の目的

ソグド人による王国建設

あくまでも私の考えですが、アッバース朝の支配を受けたソグド人は、彼らと彼らに近い民族による王国を中国に作りたかったのではないでしょうか。

安史の乱は755年に勃発し、実際に安禄山は**「燕国」**を建国しました。これは単なる反乱ではなく、ソグド商業ネットワークの力を背景とした、新たな国家建設の試みだったと考えることができます。

故郷ソグディアナを失い、アッバース朝の圧力にさらされたソグド人にとって、唐の領域内に自分たちの王国を築くことは、生き残りをかけた戦略だったのかもしれません。

おわりに

安禄山の台頭と安史の乱を、ソグド商業ネットワークという視点から見ると、単なる個人の野心や反乱ではない、より大きな歴史的文脈が浮かび上がってきます。

シルクロードを支配した商業民族の栄枯盛衰、国際情勢の変化、そして新天地での王国建設への夢――安史の乱は、こうした複雑な要素が絡み合った歴史の転換点だったのかもしれません。

 

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