ソクド人は商才に優れていた
ソグド人は商才に恵まれていたそうです。
彼らは、赤ん坊が生まれると、口にハチミツ、手にニカワを塗ったそうです。
甘い言葉を言って握った金は離さない・・ということでしょうか。
どういうわけか、ソクド人である安慶緒は口べたのようでしたが。
父が唐の宮廷に出入りしていたので、小さかった彼は漢化していたかもしれません。
安慶緒は玄宗皇帝から与えられた中国の名前です。実際の本名は違っていたようです。
ソクド人の性格とアレクサンダー大王の東方遠征
このようなソクド人の性格は、アレクサンダー大王の東方遠征によるところが大きいと思います。
なぜならば、彼は、マケドニアを出発した後エジプト、ペルシアを通過してソクド人女性と結婚したからです。
アレクサンダー大王の遠征により他の地方の様子や文物がわかり、通商路も開けました。
ソクド人はエジプト、カスピ海、小アジアとの交流を通じ、何をどこに持っていけば、利益になるかわかっていったと思います。まさに商人になっていきました。
アレクサンダー大王の東方遠征とは
赤線はアレクサンダー大王の遠征路です。
彼はいく先々で都市を建設して、ギリシア人を入植させています。
アレクサンダー大王は、紀元前356年、マケドニアの首都ベラに生まれました。
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アリストテレスを家庭教師とし、勉学に励み、紀元前336年、マケドニア国王になりました。
紀元前333年、ペルシアをイッソスの海戦で破りました。
ダマスカスで多くの宝物を獲得しました。
その後、紀元前332年、エジプトに入り、自分の血統がアモン神であると宣言しました。
331年にはアレクサンドリアを建設しました。
同年、ティグリス川に向かい、バビロンを手に入れました。
バビロンでまた莫大な富を得ました。
紀元前330年には、ペルセポリスに入城しました。
この頃から、マケドニア人の慣習からペルシア風の宮廷儀式を取り入れるようになりました。
が、それがマケドニア人やギリシア人の反発を買うようになってしまいました。
紀元前329年には、ソクディアナ地方の北にアレクサンドリア・エハステというギリシア人の入植地を作りました。
これは北部にいたスキタイ人を牽制するためです。
紀元前327年にはバクトリア貴族の娘とその地で結婚しました。また部下に現地人との結婚を勧めました。
バクトリア地方はソクド人の故郷です。