義渠は、現在の陝西省北部、甘粛省中北部、寧夏を占領していた当時有力な遊牧民族政権でした。 騎馬民族ならではの機動力で秦国の国境を略奪し、秦の国内まで侵攻していました。 恵文王は秦の国境主付近の土地を焼き払いました。 大量の馬や牛、羊の餓死を避けるため、遊牧民は牧草が焼かれた秦の国境に近づくことはできませんでした。。
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こうして背後を固めると、恵文王は、BC330年、 紀元前329年、以降、 秦軍は魏に数度の強力な攻撃を与えました。 秦は黄河以西の魏の領土をすべて併合しただけでなく、黄河の東岸に東進の拠点を築きました。
紀元前327年、義渠に王位争いの内乱が起こりました。秦はその内乱に乗じて義渠を平定しました。 義渠王は臣下となりました。 紀元前315年、秦は義渠の25の都市を侵略して占領しました。それによって 秦は西北にある広大な優良放牧地を手に入れる事ができました。