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劉娥と甘露の悲劇 – 皇后の苦悩 ドラマ大宋宮詞35話

はじめに

宋朝の歴史において、劉娥は真宗趙恒の皇后として政治の表舞台に立った女性でした。

しかし、その栄光の陰には、政治的立場と個人的な安全の間で板挟みになった痛ましいエピソードがあります。

今回は、安産祈願の寺での出来事を通じて、皇后という立場のための悲劇について考察します

安産祈願の寺での出来事

劉娥が安産祈願のために寺を訪れた際、民衆との謁見が行われました。

その場で、ある女性から「男児を授かる」という願いを込めて甘露が献上されたのです。

しかし、楊美人は危険を察知し、劉娥にその甘露を口にしないよう強く制止しました。

おそらく毒が仕込まれている可能性を疑ったのでしょう。賢明な判断でした。

漢書宣帝紀の教えと政治的ジレンマ

ところが、劉娥は漢書宣帝紀の一節を読み上げました:

「乃者鳳皇集泰山、陳留,甘露降未央宮」
(鳳凰は泰山・陳留に集い、未央宮には甘露が降った)

この古典の教えは、甘露は皇帝の高徳に応じて天から降るものだということを示しています。

前漢の宣帝は中興の祖として名君の一人に数えられ、

その治世において甘露が降ったことは、天が皇帝の徳を認めた証拠とされました。

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皇后の苦渋の決断

甘露とは、皇帝が高徳であると、これに応じて天から降るとされています。

趙恒は高徳であるから甘露が降ったのだと民衆に示さなくてはなりません。

そのために、劉娥は、民衆から捧げられた甘露を飲まなければならない

という重圧を感じていたのでしょう。

もし民衆から献上された甘露を拒否すれば、それは皇帝の徳を疑うことになり、

政治的な信頼を損なう恐れがありました。

民衆の前で、天の恩寵である甘露を皇后が飲むということは、

皇室の正統性と皇帝の徳の高さを証明する象徴的行為だったのです。

楊美人の制止にも関わらず、劉娥は政治的責任を優先し、その甘露を口にしました。

悲劇的な結末

しかし、結果は最悪でした。劉娥は流産してしまったのです。

楊美人の懸念は的中し、おそらく甘露には何らかの毒が含まれていたのでしょう。

この出来事は、皇后という立場の重圧を如実に物語っています。

個人的な安全よりも政治的役割を優先せざるを得ない立場

その危険性を示した悲劇的なエピソードでした。

 

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