中国の宮廷ドラマ『宮廷の諍い女』(原題:甄嬛伝)で、いちばん恐ろしい人物は誰でしょうか。派手に怒り、人を罰する華妃を思い浮かべる方も多いでしょう。けれども、本当に恐ろしいのは、いつも穏やかに微笑んでいる皇后の方かもしれません。
この記事では、甄嬛(シンケイ)たち新しい秀女が入宮したときの皇后の動きを、さとえの見立てで読み解いていきます。
※同じ出来事を、意地悪を受ける甄嬛の側から見た話は「甄嬛の住まい・碎玉軒の場所と名前の意味」の記事で書いています。
甄嬛、入宮前から後宮の暗闘に巻き込まれる
秀女選びの場で、雍正帝は甄嬛に強い関心を示し、自ら封号を与えるほどの気に入りようでした。
皇后は皇帝に、甄嬛が誰かによく似ていると言いかけて、言葉を止めます。甄嬛は、皇帝が今も忘れられない亡き純元皇后によく似ていたのです。純元皇后は、皇后の実の姉でした。
皇帝の心にいる姉にそっくりな新人が現れた。皇后にとって、これほど穏やかでいられない出来事はなかったはずです。けれども皇后は、それを顔には出しません。表向きは夫の気持ちを汲む良き妻を演じながら、静かに手を打っていきます。
皇后が見ていたのは、甄嬛だけではありません。新しく入る秀女たちを一人ひとり見極め、誰が有望で、誰が使えるかを測っていました。皇后の目に、とくに有望と映ったのが、甄嬛と沈眉荘の二人だったのだと思います。
甄嬛の住まいをめぐる攻防
皇后は、甄嬛を皇帝の執務の場である養心殿に近い承乾宮に住まわせようとしました。ところが華妃が反発し、甄嬛の住まいは碎玉軒に変わってしまいます。
碎玉軒は、「宮」でさえない格下の「軒」で、本来は人が住むための建物ではありませんでした。実際の紫禁城には存在しない、ドラマのための名前です。碎玉軒の場所や名前の意味については、別の記事で詳しく書いています。
皇后の四つの策略
皇后の策略の巧妙さは、決して自分が悪者にならないよう、人を動かして目的を果たすところにあります。
策略① 良妻のふりをして、甄嬛を不遇な場所へ
皇后が甄嬛を承乾宮に、と考えたのは劇中の事実です。華妃が反発して碎玉軒に回され、皇后が華妃に譲ったのも事実です。
✦ さとえの見立て
皇帝のお気に入りを、皇帝のそばに置いてあげる。これは夫の気持ちを汲む良妻のような振る舞いです。けれども私は、これはあくまで「ふり」だったと思います。
皇帝の寵愛を独り占めしたい華妃が、新人を皇帝のそばに置くことを黙って見ているはずがありません。皇后は、邪魔が入ることを最初から計算していたのではないでしょうか。案の定、華妃が反発し、甄嬛は碎玉軒へ回されました。
皇后は良き妻として善意を示しただけ。甄嬛を不遇な場所に追いやった悪役は、華妃になります。その後、皇后が何食わぬ顔で、碎玉軒は寂しい場所だからと桂花を贈って慈悲深さを見せるのも、この流れの仕上げだったように見えます。
策略② 沈眉荘を、華妃を抑える駒に
冷静で賢い沈眉荘は、咸福宮に入りました。咸福宮の主は敬妃です。皇后は皇帝に、沈貴人には昔の敬嬪のような風格がある、と語っています。
✦ さとえの見立て
知的で優美な沈眉荘は、華妃にはない魅力を持つ女性です。華やかさと激しさで皇帝を惹きつける華妃に対して、沈眉荘には落ち着いた気品と教養があります。
私の目から見て、沈眉荘こそ次の皇后にふさわしい人でした。皇太后も沈眉荘を目にかけ、そうなることを望んでいたと思います。同じ宮の敬妃も、きっと同じように見ていたはずです。
皇后も、それを感じ取っていたのではないでしょうか。沈眉荘は、いずれ皇帝の寵愛を得るだけでなく、皇后の座さえ脅かしかねない人だったのです。
その沈眉荘を、敬妃と並べて咸福宮に置く。寵愛を得た沈眉荘は、いずれ必ず華妃とぶつかります。皇后は、自分が手を下さなくても華妃を抑える役目を、沈眉荘に担わせようとしたのではないでしょうか。
けれども、皇后にとって沈眉荘は、味方ではありません。華妃を抑えるのに役立つうちは使い、いずれは沈眉荘も落とすつもりだったのだと思います。
そのとき、同じ咸福宮の主である敬妃にも影響が及びます。
敬妃は頭がよく、落ち着いていて、簡単には人の罠にはまりません。しかも敬妃が見ていたのは、目の前の寵愛争いではありませんでした。照準を合わせていたのは、雍正帝の次の皇帝です。
子のない皇后は、斉妃の産んだ三阿哥の後見人となり、次の時代にも自分の力を残そうとしていました。敬妃は、その対抗馬となる皇子を産んでくれる女性が現れるのを、じっと待っていたのだと思います。沈眉荘を同じ宮に迎えたのも、敬妃にとっては、その女性になるかもしれない人を手元に置くことでもあったのではないでしょうか。
皇后から見れば、敬妃は直接追い落とすのが難しい、油断のならない相手です。けれども、自分の宮に住む沈眉荘が罪に問われれば、主位として目が行き届かなかった、という責めを負わせることができるかもしれない。大きな罪でなくても、少しは打撃を与えられる。
華妃を抑え、やがて沈眉荘を落とし、そのついでに、次の時代を見据える敬妃にも傷をつける。皇后は、一つの配置にそこまでの先を読んでいたのではないかと思います。
策略③ 延禧宮の三人を、思惑どおりに配置する
位の最も低い答応の安陵容は、気の強い夏冬春と一緒に延禧宮に入りました。夏冬春は秀女選びのときにも、安陵容に難癖をつけていた相手です。延禧宮には、満洲族の富察貴人もいました。
人物関係はこうなります。
- 富察貴人:満洲族の出で、皇后に目をかけられている。けれども、それを分かっていない。
- 夏冬春:富察貴人より位は低いが、派手で浅はか。安陵容をいじめる。
- 安陵容:いちばん身分が低く、生きていくためには後ろ盾を求めるしかない。
✦ さとえの見立て
皇后自身は満洲族の出です。後宮で満洲族の妃嬪に力を持ってほしい、という思いがあったのは自然なことでしょう。その意味で、満洲族の富察貴人は皇后が目をかける存在でした。
けれども、富察貴人はどこか物足りません。家柄はあっても、皇帝の心をつかむほどの魅力や才覚があるとは言いにくい。
そこで皇后は、派手な夏冬春を同じ延禧宮に置きました。目立ちたがりの夏冬春がいれば、延禧宮に皇帝の目が向く機会も増えるかもしれない。そうなれば、富察貴人が皇帝に会う機会もできるかもしれない。皇后には、そんな期待も少しはあったのではないかと思います。
一方で、いちばん身分の低い安陵容は、この二人に挟まれて追い詰められていきます。
安陵容は、地方の小役人の娘で、家も裕福ではありません。家柄でも、身なりでも、ほかの秀女たちに引け目を感じています。甄嬛や沈眉荘のように、華やかさや教養で自分を支えることもできません。その強い劣等感は、隠そうとしても隠しきれないものでした。
皇后は、安陵容のこのコンプレックスを感じ取っていたのだと思います。劣等感の強い人は、認められたい、見下されたくないという思いも強い。そこに手を差し伸べれば、恩を感じて離れられなくなる。そして、自分より恵まれた者への妬みは、いつか刃に変えることができる。
皇后にとって安陵容は、ただの弱い新人ではありませんでした。自分の代わりに手を汚してくれる刺客になれる人だったのです。実際、安陵容は後に皇后の側に深く取り込まれ、その手先として動くようになっていきます。皇后が育てたこの刺客は、やがて皇后がいちばん恐れた相手を消すことになります。
一つの配置で、満洲族の富察貴人を後押しし、安陵容を手駒にする。うまくいかなくても、皇后は何も失いません。
策略④ 夏冬春を天狗にさせ、地獄に落とす
入宮して間もなく、夏冬春は宮中で安陵容に手を上げようとしたところを華妃に見とがめられ、「一丈紅」という厳しい罰を受けて体が不自由になってしまいます。華妃はもともと、夏冬春を皇后の側の人間だとみなしていました。
✦ さとえの見立て
夏冬春は満洲族ではありません。皇后が本気で目をかける理由は、もともとない相手です。
それでも皇后は、夏冬春を可愛がるふりをしました。贈り物などで、自分は皇后のお気に入りなのだと思い込ませたのではないかと私は読んでいます。
派手な振る舞いで、もともと周りからよく思われていない。しかも頭が軽く、自分の立場をよく考えずに動く。「豚もおだてりゃ木に登る」と言いますが、夏冬春はまさにそのとおりでした。皇后に少し可愛がられただけで、あっという間に天狗になり、宮中で堂々と「皇后派」のように振る舞い始めます。
高いところに登らせておいて、そこから地獄に落とす。悪目立ちした夏冬春は、華妃の見せしめとなりました。
皇后は、この一部始終を見ていたはずです。自分は何もしていない。ただ少しおだてただけ。それなのに、思い上がった娘が自分から転げ落ちていく。
有頂天の高みから落ちる、その落差が大きければ大きいほど、見ている側にとっては楽しいもの。皇后にとって、これほど楽しい見ものはなかったのではないでしょうか。
そして、これを見た新しい妃嬪たちは、華妃を恐れて近づかなくなります。華妃は恐れられ、皇后は頼られる。皇后は自分の手を一度も汚さずに、後宮での立場を固めたのです。
手を出さない人たち:端妃、麗嬪、曹貴人
皇后は、すべての妃嬪に手を打っていたわけではありません。あえて何もしない相手もいました。
端妃
延慶殿に住む端妃は、位も高く聡明な女性です。華妃は、かつて自分が流産したのは端妃が持ってきた薬のせいだと信じ込み、端妃を激しく憎んで苦しめ続けています。
けれども、華妃の子を堕ろさせたのは、本当は皇帝の仕組んだことでした。端妃はそれを分かっていて、何も言わずに、じっと息を潜めていたのです。
✦ さとえの見立て
皇后にとって、端妃は手を出す必要のない相手でした。華妃が誤解したまま憎み続けてくれるうえ、端妃は病がちで表に出ることも少なく、皇后の立場を脅かすことはありません。
けれども、本当に賢かったのは端妃の方かもしれません。端妃は、この後宮が皇帝の劇場だと分かっていました。皇后が筋書きを動かしているつもりでいる、そのさらに上で、皇帝が糸を引いている。真実を口にすれば、自分が舞台から下ろされるだけです。
だから端妃は、華妃の憎しみを黙って受け止め、病の陰に身を隠して、目立たず、争わず、ただ生き延びることを選びました。皇后が客席から芝居を楽しんでいたとすれば、端妃は、その劇場全体を見渡しながら、舞台の袖で静かに出番を待っていたのだと思います。
麗嬪
麗嬪は華妃の取り巻きの一人で、美しく、皇帝の寵愛を受けていたこともある妃です。けれども頭の回る人ではなく、『宮廷の諍い女』では、やがて心を病んで物語から退場していきます。
麗嬪は、続編とも言われる『如懿伝(にょいでん)』にも登場します。そこでの麗嬪は年を重ねて容色が衰え、寵愛からも遠ざかっています。それでも若いころのような化粧をし、年とともに低くかすれた声で、若い娘のような甲高い声を出そうとする。その姿は、視聴者からもさんざん笑われました。
✦ さとえの見立て
「色衰えて愛弛む」。漢の武帝の李夫人の言葉として『漢書』に残る言葉です。容色で愛された者は、容色が衰えれば愛も薄れる。麗嬪は、まさにこの言葉どおりの人でした。
皇后にとって、麗嬪は放っておいても害のない人です。むしろ、後宮には笑い者になってくれる人も必要です。優雅で張りつめた世界だからこそ、皆が陰で笑える相手がいれば、ちょっとした楽しみにもなります。
けれども、『如懿伝』で麗嬪を見て笑う視聴者の声に気づいたとき、私はぞっとしました。衰えた麗嬪を笑い者にして楽しんでいるのは、後宮の妃嬪たちだけではありません。画面の前の私たちも、同じことをしているのです。
後宮の残酷さを、私たちは外から眺めているつもりでいます。けれども、弱った者を笑い、落ちていく者を見て楽しむ心は、後宮の中にも外にもある。後宮とは、紫禁城の中だけにある特別な世界ではないのかもしれません。
曹貴人
曹貴人もまた華妃の側にいる妃です。麗嬪とは違って頭がよく、華妃の参謀のような役目を担っています。
✦ さとえの見立て
皇后は、曹貴人にはむしろ、そのままでいてほしかったのではないでしょうか。華妃は激しく強いけれど、頭がいいとは言えません。曹貴人という参謀がいなければ、華妃の策略はなかなか成功しないのです。
実際、曹貴人の知恵は、華妃の側で存分に働きます。沈眉荘を陥れたのも、曹貴人の策でした。皇后が「いずれは落とす」と見ていた沈眉荘を、皇后は手を汚さずに、華妃と曹貴人の手で落としてもらえたのです。
そして最後には、曹貴人は華妃を裏切り、華妃を倒す側に回ります。華妃の参謀として育った曹貴人が、その華妃を倒してくれる。ここまで、すべてが皇后の思いどおりに進んでいきました。
けれども、話はそこで終わりません。華妃が倒れた後、曹貴人は皇太后と皇帝によって毒殺されてしまいます。主を裏切るような者を、そばに置いておくわけにはいかない。役目を終えた駒は、舞台から下ろされるのです。
皇后の目から見た後宮
ここまでを整理すると、皇后が一人ひとりをどう見ていたかが見えてきます。
皇后が手を打った人たち
- 甄嬛:有望だからこそ、良妻のふりで不遇な場所へ
- 沈眉荘:有望だからこそ、華妃を抑える駒に。いずれは落とし、同じ宮で次の皇帝を見据える敬妃にも傷を負わせる
- 富察貴人:同じ満洲族として後押ししたいが、物足りないので派手な夏冬春を添える
- 安陵容:強い劣等感を見抜き、自分の代わりに手を汚す刺客に
- 夏冬春:満洲族でもないのに可愛がるふりで天狗にさせ、高く登らせてから地獄に落とす
皇后が手を出せなかった人
- 敬妃:賢く、罠にはまらない。だから沈眉荘を同じ宮に入れ、間接的に傷を負わせる道をつくる
皇后があえて手を出さなかった人たち
- 端妃:手を出す必要がない。けれども端妃自身は、この劇場で糸を引くのが皇帝だと見抜き、息を潜めていた
- 麗嬪:害がないうえ、後宮には笑い者も必要
- 曹貴人:華妃の策略を成功させてくれる参謀として、そのままに
まとめ:手を汚さない皇后の孤独
皇后の戦略の本質は、決して自分では手を下さないことです。表向きは慈悲深い皇后を演じ、実際には人を巧みに動かして、汚れ役はほかの者に負わせる。動くべき相手と、動かなくていい相手まで見分けている。この高度な心理戦こそ、後宮で生き残るための術でした。
✦ さとえの見立て
優雅で、洗練されていて、誰も声を荒らげない。自分の手は決して汚さず、相手が自分から転ぶように仕向けた者が勝つ。そんな争いが死ぬまで続く世界、それが後宮です。皇后は、その世界のルールを誰よりも深く理解し、誰よりも見事に使いこなした人でした。
こうして見ると、宮廷とは、楽しい見せものの劇場なのかもしれません。
そして、この劇場には、いたぶって楽しむための役がちゃんと用意されています。夏冬春と麗嬪です。
二人とも頭が軽く、周りからよく思われていません。だから、いたぶっても誰もかばわないし、いたぶる側の評判も傷つきません。夏冬春はおだてられて木に登り、有頂天から地獄に落とされる。麗嬪は衰えた姿で若作りをして、笑い者にされる。二人は、後宮の人々が安心して残酷さを向け、楽しむことのできる存在だったのです。
客席にいる皇后は、自分は一度も舞台に上がらず、筋書きを少し動かしながら、その芝居を眺めて楽しんでいる。
思えば、甄嬛が最初に住まわされた碎玉軒も、もとは芝居を見るための場所でした。甄嬛は、観劇の場所に住まわされたその日から、この劇場の舞台に立たされていたのです。
そして、この劇場の客席には、画面の前の私たちも座っています。麗嬪を笑い、夏冬春の転落を「いい気味だ」と眺めるとき、私たちもまた、皇后と同じ席で芝居を楽しんでいるのかもしれません。
皇后は、客席から筋書きを動かしているつもりだったかもしれません。けれども曹貴人の最期を見ると、この劇場には、皇后よりさらに上で糸を引いている者がいたことが分かります。
華妃を倒すところまでは皇后の思いどおり。けれども最後に、誰を生かし、誰を舞台から下ろすかを決めたのは皇帝でした。皇太后もまた、皇帝と並んで筋書きに手を加えていました。皇后の策略も、華妃の残酷さも、すべては皇帝が糸を引く、より大きな芝居の一部にすぎなかったのです。
だからこそ、この物語の最後に甄嬛が向き合うことになるのは、皇后でも華妃でもなく、この糸を引く者その人なのです。
けれども、見方を変えると、皇后ほど身動きのとれない人もいないのではないでしょうか。客席にいるつもりの皇后もまた、近くで見れば、この舞台から一歩も降りられない人だったのです。
皇后は中宮です。華妃のように寵愛を誇ることも、感情のままに人を罰することもできません。「慈悲深い皇后」の仮面を外せば、その瞬間に立場を失います。だから皇后は、人を操り、勝ち続けるしかありませんでした。
後宮から抜け出す道は、死しかないのか。この問いを皇后に当てはめると、答えはいっそう重くなります。皇后には逃げ道どころか、仮面を外して休む場所さえありませんでした。最も高い位にいた皇后自身もまた、手を汚さずに勝ち続けるしかない地獄の住人だったのだと思います。


