瓔珞10話 嫻妃の必死の金策
嫻妃(かんひ)は罪に問われた弟が獄中で重病になったことを知りました。
治療代のために内務府に俸禄の前借りを申し出るが断られてしまいます。
仕方なく自分の装飾品を売ってもらおうと密かに夜間、御花園で待ち合わせした太監に渡そうとします。
夜、幾つもの門の侍衛に賄賂を渡しなんとか待ち合わせ場所に出てきたというのに、
そこへ突然高貴妃が現れます。
そして恥をかかされた挙句に金策に失敗します。
瓔珞13話 嫻妃の父投獄される 嫻妃の母自害
獄中の弟のことで心を痛める嫻妃は、さらに衝撃の事実を知りました。
嫻妃の父親の那爾布(ナルブ)が息子(嫻妃の弟)を助けるため怡(い)親王に銀子を渡し、投獄されたのでした。
嫻妃の母は、乾隆帝に父親の命乞いをするように頼みます。
しかし後宮の中でただ一人清廉潔白である事を誇りに思う嫻妃は、乾隆帝に父親の命乞いをすることを拒んでしまいます。
大切に養育して、せっかく妃にしたのになんの助けにもならない娘に母は失望します。
頼りになるる夫、息子、娘が自分にはいないことに気がついた嫻妃の母は自害してしまいます。
瓔珞16話 嫻妃、高貴妃への復讐を誓う
嫻妃は、高貴妃が怡親王に父の賄賂を密告させたのだとと知ります。
自分を追い詰めた者への復讐を誓うことになります。
嫻妃のこの時の史実の地位
彼女の一族は、清朝初期は愛新覚羅皇族と密接な関係を保ち、歴史を通して多くの皇后や側室を輩出しました。
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しかし彼女の系列は乾隆帝の治世には衰退し、もはや有力な家柄ではありませんでした。
父のネルブは正四品包衣佐领(清朝の八旗制における下級官職)に過ぎず、
その家柄は乾隆帝の最初の妃である富察皇后に比べるとはるかに劣っていました。
高貴妃の史実
父は雍正帝と乾隆帝の時代に高官を務め、黄河管理の功績で名を馳せました。
高貴妃は内务府包衣(皇帝の宮廷奴隷)の家の生まれでしたが、父の功績により、
雍正帝から特例的に(乾隆帝)に嫁ぐことができました。
乾隆帝が即位すると、即位2年(1737年)に妃の爵位を賜り、10年に貴妃、13年に高貴妃に叙せられました。
高貴妃はなぜ嫻妃をいじめたのか
史実には正確にこのような記録はのこっていないのですが、さもありそうな話のように思います。
高貴妃はもとは、内务府包衣(皇帝の宮廷奴隷)出身で、父親がめざましい働きをしたおかげで
特例として後宮にはいれたわけです。
富察皇后は家柄も経済力も比べようもなく立派なので、高貴妃は富察皇后には頭があがりません。
しかし、没落した落ち目の貴族嫻妃は、叩きたかったのでしょう。
高貴妃の出自コンプレックスが伝わってきます。
嫻妃皇后になったあとの彼女の家族
乾隆帝は治世15年にナラ皇后を正式に皇后に立てた後、彼女の父であるネルブに承恩公爵を死後に授けました。
この世襲称号は清朝の皇族貴族制度における最高位の一つであり、通常は姻戚関係や功績のある者に与えられました。
さらに、ナラの叔父であるネチンは、乾隆初期に近衛大将にまで昇進し、重要な軍事指揮官となりました。



