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清朝史上唯一の漢民族出身皇后・魏嘉氏の生涯とドラマ「瓔珞(えいらく)」や「如懿伝」での描かれ方

はじめに

中国の歴史ドラマ「瓔珞(えいらく)」や「如懿伝」で話題となった魏瓔珞と衛嬿婉。

実はこの二人のキャラクターは、同じ歴史上の人物をモデルにしています。

それが清朝第6代皇帝・乾隆帝の第三番目の皇后である魏嘉氏(1727-1775)です。

彼女は清朝史上唯一の漢民族出身の皇后として、特別な地位を占める人物でした。

魏嘉氏の生涯

出自と宮廷入り

魏嘉氏は1727年、パオイ(包衣)の身分に生まれました。

パオイとは清朝の八旗制度における、皇帝や王公貴族に仕える家内奴僕(家内奴隷)のことです。

奴隷の身分でありながら皇室に直接仕える立場にあったため、

一般の民とは異なる特殊な地位でした。

皇帝との出会いと寵愛獲得

魏嘉氏が皇帝の寵愛を得たのは、なかなかのやり手だったからです。

富察氏の長男が亡くなった後、

乾隆帝は悲しみにくれる皇后の住む長春宮に頻繁に通うようになります。

魏嘉氏はこの状況を巧みに利用し、毎日長春宮に駆けつけました。

表向きには富察皇后への献身的な奉仕として「主従、忠実、献身」という評価を得ましたが、

実際には皇帝との「偶然を装った出会い」を数多く作り出すという計算された行動でした。

この戦略的なアプローチが彼女の人生を大きく変える転機となったのです。

急速な昇進

乾隆帝の寵愛により、魏嘉氏はわずか3年で妃の地位まで昇格しました。

皇帝は彼女への愛情を示すため、魏嘉氏の実家を昇進させ、家や田畑を与え、

さらに借金まで免除するという破格の待遇を与えました。

後宮随一の多産

魏嘉氏は10年間で6人の息子を産み、後宮の中で最も子だくさんの妃となりました。

その中には後に嘉慶帝となる永延も含まれており、彼女が皇室の血統に与えた影響は計り知れません。

実質的な皇后として

ウーラナーラ皇后の死後、魏嘉氏は正式に皇后に立てられることはありませんでしたが、

皇貴妃として皇后の権限を実際に行使し、10年以上にわたって6つの宮を管理しました。

これは事実上の皇后としての地位を意味していました。

謎に包まれた性格と乾隆帝の評価

興味深いことに、魏嘉氏の性格について史書にはほとんど記述が残されていません。

他の妃については「穏やかな性格」といった人物描写があるにもかかわらず、

彼女についてはただ乾隆帝からの褒め言葉だけが記録されているのです。

皇帝は彼女の才能と知性を高く評価していたとありますが、

具体的にどのような人物だったのかは謎に包まれています。

この記録の欠如が、かえって後世の人々の想像力をかき立てることになりました。

彼女の稀有な成功は本当に美貌だけによるものだったのでしょうか。

パオイという奴隷身分から皇后の地位まで上り詰めるには、

美しさ以外にも並外れた何かがあったはずです。

しかし、その「何か」が何だったのかは、歴史の謎として残されているのです。

謎に満ちた死と毒殺説

1775年、魏嘉氏は49歳でこの世を去りました。

しかし、彼女の死には大きな謎が残されています。

後に行われた彼女の遺体の解剖により、

長期にわたって摂取されていたと思われる毒の痕跡が発見されたのです。

この発見により、乾隆帝が密かに魏嘉氏に毒を盛っていた可能性が指摘されています。

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もしこれが事実であるならば、皇帝の寵愛を受けながらも、

同時に皇帝自身の手によって命を縮められていたという、

宮廷の闇の深さを物語る衝撃的な事実となります。

なぜ乾隆帝が愛していたはずの魏嘉氏を毒殺する必要があったのか、

その真相は歴史の闇に包まれたままです。

権力闘争、政治的配慮、あるいは他の理由があったのかもしれません。

死後の栄誉

魏嘉氏の死後、息子である嘉慶帝が即位すると、

母である魏嘉氏に「孝儀純皇后」の諡号を贈りました。

また、一族は満州黄旗に昇格し、姓も「魏家姓」に改められるという最高の栄誉を受けました。

そして、生前に正式な皇后の地位を得られなかった彼女は、

死後に真の皇后としての地位を獲得したのです。

ドラマでの異なる描かれ方

「瓔珞(えいらく)」での魏瓔珞

このドラマでは、魏嘉氏をモデルにした魏瓔珞が主人公として描かれています。

彼女の知性と優しさがより強調され、

出自が悪くても本人の才能と知略によって道が開けるというサクセスストーリーとして描かれました。

このポジティブな描写が中国で大ヒットを記録し、多くの視聴者の心を掴みました。

「如懿伝」での衛嬿婉

一方、「如懿伝」では同じ魏嘉氏をモデルにしながらも、

衛嬿婉として根っからの悪役として描かれています。

主人公如懿の対立相手として、計算高く冷酷な女性として表現されており、

「瓔珞」とは正反対のキャラクター設定になっています。

まとめ

魏嘉氏の生涯は、清朝という厳格な身分制社会において、

最下層から皇后の地位まで上り詰めた稀有な成功例です。

しかし、他の妃と異なり、史書に性格の記述がほとんど残されていないという事実が、

彼女をより一層謎めいた存在にしています。

乾隆帝の褒め言葉以外に具体的な人物像が記録されていないことで、

後世の人々は彼女の成功の秘密について様々な想像を巡らせることになりました。

美貌だけでパオイから皇后まで上り詰めることは不可能でしょう。

では、彼女が持っていた特別な「何か」とは一体何だったのか?

この謎こそが、現代に至るまで人々の関心を引きつけ続ける理由なのかもしれません。

しかし、その成功の陰には宮廷の闇も潜んでいました。

毒殺説が示すように、皇帝の寵愛を受けながらも、

同時に命の危険にさらされていたという複雑な状況は、

宮廷という特殊な環境の恐ろしさを物語っています。

同じ歴史的人物でありながら、

ドラマによって全く異なる人物像で描かれているのは非常に興味深く、

視聴者それぞれが異なる魏嘉氏像を抱くことになります。

「瓔珞」での知的なヒロイン像は、

史料に残る乾隆帝によって才能と知性を評価された彼女の一面をより忠実に反映しています。

「如懿伝」での衛嬿婉は、

作者が史料から消されたと考えた彼女の権謀術数の性格を想像しています。

歴史上の真実の魏嘉氏がどのような人物だったかは謎に包まれた部分も多いですが、

確実に言えるのは、彼女が清朝史上類まれな女性であり、

その影響力は息子の治世を通じて清朝後期にも及んだということです。

そして、彼女を取り巻く謎─特に毒殺説─は、今後も歴史研究者や人々の関心を引き続けることでしょう。

 

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