※本サイトは、アフィリエイト広告を利用し収益を得て運営しています

『長歌行』 李長歌の歴史的原型を探る

中国の人気歴史ドラマ「長歌行」の主人公である李長歌は、

多くの視聴者を魅了したキャラクターです。

しかし、この魅力的な人物は実在したのでしょうか?

今回は李長歌の歴史的背景と、その可能な原型について探ってみましょう。

李長歌は実在の人物か?

結論から言うと、李長歌には正確な歴史的原型はなく、作者が創作した架空の人物とされています。

確かに歴史上、李建成(唐の皇太子で、玄武門の変で李世民に殺害された)には娘がいました。

しかし、彼女は玄武門の変が起きた時点では4歳未満の幼児であり、

ドラマで描かれる李長歌の設定とは明らかに合致しません。

衡陽長公主 – 李長歌の歴史的原型

では、李長歌のキャラクターはどのような歴史的人物をもとに作られたのでしょうか?

最も有力とされているのが**衡陽長公主(衡陽姫)Hengyang Princess**です。

衡陽長公主の人物像

衡陽長公主は唐の高祖李淵Li Yuanの14番目の子供として生まれました。

この「14番目」という数字が、ドラマ中で李長歌が阿詩勒隼に対して自分のことを

「14郎(14番目の男の子)」と名乗ったことと一致しており、興味深い符合を見せています。

さらに注目すべきは、衡陽長公主が北西の草原地帯にいた阿詩勒部Ashi Leibuの阿詩勒隼(アシラ・シュン、アシナ・シャール)と結婚したという史実です。

ドラマでは李長歌と阿詩勒隼が恋人関係として描かれており、この点でも歴史的事実との興味深い重なりを見せています。

広告

阿詩勒隼(アシナ・シャール)- 歴史上の人物

人物概要

アシナ・シャール(604-655年) は、現在の内モンゴル自治区にいたトルコ系(テュルク系)の王族でした。

生い立ちと経歴

  • 東部テュルク系突厥の王族の末裔
  • ティロカンの次男として生まれる
  • 11歳で既にその知恵と勇敢さで名を馳せ、若くして部族の長に任命される
  • 軍事的才能を発揮し、西テュルクの土地の半分近くを奪取
  • 「ドブ・ハン」の称号を名乗る

唐への帰順

貞観9年(635年)、アシナ・シャールは重大な決断を下します。兵を率いて唐に亡命し、唐朝から左丞相の地位を与えられました。そして、李淵の娘である衡陽長公主と結婚したのです。

創作と史実の巧妙な融合

ドラマ「長歌行」は、完全な創作でありながら、歴史的事実を巧妙に織り込んでいることがわかります。

  • 李長歌の「14郎」という呼び名 → 衡陽長公主が李淵の14番目の子
  • 阿詩勒隼との恋愛関係 → 実際の政略結婚
  • 草原での出会いと冒険 → 実際の地理的・文化的背景

おわりに

李長歌という人物は架空の存在でありながら、その背景には確かな歴史的事実が存在しています。

衡陽長公主とアシナ・シャールの史実を下敷きにしつつ、

現代の視聴者にも響く魅力的なキャラクターとして再構築されたのが李長歌なのです。

 

広告

中国ドラマ

広告