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公子蛟の史実 皓镧传「コウラン伝」

コウラン伝の公子蛟は誰?

「こうらん伝」はフイクションが多く、歴史家からは観ていられないほど酷いと極めて批判されているようです。

その中で公子羽や公子蛟は誰かと話題になっています。

どうもフィクションのようですが、公子蛟はいずれ龍となるという漢字を与えられているので、最終的に王となる

悼襄王と考えられています。

趙の第8代君主、悼襄王

公子蛟の歴史上の原型は、趙の第8代君主、悼襄王、趙燕。

趙燕王は、紀元前245年から紀元前236年まで在位した。

在位わずか9年。

悼襄王、李牧・連頗を疎む

在位中、李牧を派遣して燕を攻め、勝利するなどの功績を残したが、

裏切り者の大臣・郭凱を再利用したり、

名将・連頗や李牧を疎ましく思ったりするなど、

趙の軍事力の弱体化を招いた。

国力衰退しているのに跡目争い

彼には、寵妾がいた。

寵妾はもともと娼婦であった。

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娼婦(遊女)を側室とすることは法律違反であったが、趙燕は彼女を側室として選んだだけでなく王后とした。

さらに、徳の高い長男を廃して

その遊女から生まれた子を王位に就けたりしたため、やがて趙の国は衰退していった。

こうらん伝との関わり

この遊女を愛したという歴史的事実がコウラン(呂不韋の妾)というイメージが結びついたと思います。

 

 

 

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