「將」は”jiang”か”qiang”か – 一文字が変える詩の世界
李白の代表作「將進酒」を読む際、冒頭の「將」の読み方で詩全体の意味が大きく変わってしまうことをご存知でしょうか。
正しい読み方:qiāng(チアン)
古代中国語では、この文脈での「将」は「招待する」という意味
- 意味:「誘う」「招待する」
- 「將進酒」=「あなたにもう一杯飲みに誘う」
間違った読み方:jiāng(ジアン)
- 意味:「〜するつもり」「will have to」
- 「飲まなきゃいけないぞ」という強制的なニュアンス
日本語の書き下し文「まさに酒を飲まんとす」「これから酒を飲もうとする」は、実は原詩の豪快で友好的な雰囲気とは異なる印象を与えてしまいます。李白が友人たちと共に酒を酌み交わす喜びを歌った詩として理解すべきなのです。
金樽(きんそん)- 古代中国の豪華な酒器
金樽は単なる酒器ではありません。金で装飾された贅沢な酒器で、古代中国では高貴さと豪華さの象徴でした。宴席では玉皿などの高級食器とともに使われ、特別な時間を演出する重要な役割を果たしていました。
「莫使金樽空對月」に込められた深い意味
この一句は詩全体の核心を成しています:
- 金樽 = この世の喜び、人生の楽しみの象徴
- 空月 = 孤独、満たされない心、後悔の比喩
「大切な酒器を空にしたまま、退屈で寂しい月に向かって無駄に過ごしてはならない」
つまり、一人で寂しく過ごすのではなく、仲間と共に人生を存分に楽しむべきだという李白のメッセージが込められているのです。
原詩前半部分(ピンイン付き)
君不見黄河之水天上來
jun bu jian huang he zhi shui tian shang lai
奔流到海不復回
ben liu dao hai bu fu hui
君不見高堂明鏡悲白髮
jun bu jian gao tang ming jing bei bai fa
広告
朝如青絲暮成雪
zhao ru qing si mu cheng xue
人生得意須盡歡
ren sheng de yi xu jin huan
莫使金樽空對月
mo shi jin zun kong dui yue
天生我材必有用
tian sheng wo cai bi you yong
千金散盡還復來
qian jin san jin huan fu lai
烹羊宰牛且爲樂
peng yang zai niu qie wei le
會須一飲三百杯
hui xu yi yin san bai bei
現代語訳
黄河の水が天から押し寄せ、波がまっすぐ東シナ海へと流れ、二度と戻ってこないのが見えないのか。
年老いた両親が鏡を見て、白髪になった自分を嘆いているのが見えないのか。朝は黒髪だったのに、夕方には雪のように白くなってしまう。
人生で幸せな時には、その喜びを存分に楽しむべきだ。
大切な酒杯を空にしたまま、寂しい月に向かって無駄に時を過ごしてはならない。
天が私にこの才能を与えたのだから、必ず役に立つ時が来る。
たとえ千両の金を一瞬で使い果たしても、また手に入れることができる。
羊を料理し、牛を屠って宴を開き、みんなで300杯飲もうではないか。
詩に込められた李白の心境
この詩が書かれた背景には、李白の深い挫折感がありました。政治的に追放され、理想を実現できなかった彼は、しばしば酒に託して鬱積した感情や認められなかった才能への思いを表現していました。
しかし、この詩は単なる逃避ではありません。「人生は短いのだから、出会いの時を大切にし、友人や家族と酒を酌み交わし、人生を最大限に楽しむべき」という、李白なりの人生哲学が力強く歌われているのです。
時の流れの無情さを歌いながらも、それに屈することなく、今この瞬間を仲間と共に輝かせようとする李白の姿勢。それこそが「將進酒」の真の魅力なのかもしれません。