2025年
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「鼎の軽重を問う」の故事と九鼎と周の礼楽制度
鼎とは何か?火鍋から国家権力の象徴へ 古代中国の青銅器「鼎」(かなえ)もともとは三本の脚と二本の取っ手を持つ、現代の火鍋に似た調理器具でした。肉を煮たりスープを…
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「戦わずして勝つ」孫子の真髄──秦が天下統一を成し遂げた理由
「百戦百勝は善の善なる者に非ず。戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり」 百回戦って百回勝つことは最善ではなく、戦わずに敵を降伏させることこそが最善だ 孫…
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呂不韋はどのように巨万の富を得たか 現代ビジネス書も真っ青 2300年前の転売ヤーから市場操作へ
「安く買って高く売る」――商売の基本原則は今も昔も変わりません。しかし、約2300年前の中国戦国時代に、この原則をはるかに超えた高度な市場操作テクニックを駆使し…
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秦の実力者・魏冉はなぜ失脚したのか?権力の絶頂から転落した宰相の栄枯盛衰
秦の歴史を動かした外戚・魏冉 戦国時代の秦において、4度も宰相の座に就いた男がいました。その名は魏冉(ぎぜん)。秦の宣太后の弟であり、昭襄王の母方の叔父という外…
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ドラマ『芈月伝』の宣太后は実は下品だった?側室最低位からの成り上がり
芈月(ミーユエ)の本当の出自 中国ドラマ『ミーユエ〜王朝を照らす月〜』で優雅な王女として描かれた芈月(宣太后)。しかし、歴史上の彼女の実像は、ドラマとは大きく異…
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張儀の連横策とは?戦国時代を動かした外交戦略 利益で誘惑、脅迫
戦国時代の秦が六国を制覇する過程で、武力だけでなく巧みな外交戦略が大きな役割を果たしました。その中心人物が張儀です。彼が展開した「連横策」は、敵対する国々の同盟…
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甘茂(かんも)~秦国左丞相から異国の地へ追放された智将の生涯~
戦国時代中期、秦の強国化を支えた一人の名将がいました。その名は甘茂。 左丞相にまで上り詰め、智勇兼備の武将として名を馳せながらも、最後は異国の地で失意のうちに生…
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秦武王(嬴蕩)は本当に筋肉自慢のバカな君主だったのか? 武王の母は楚の王女ではない ドラマ『ミーユエ』
「鼎を持ち上げて死んだ王」として知られ、 ドラマ『ミーユエ 王朝を照らす月』でも乱暴者で頭の悪い王でちっとも勉強をしないと描かれていますが 実際は甘茂に師事して…
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ミーユエと義渠王 そこに愛はあったのか 実は女を武器にした謀略 ドラマ『ミーユエ王朝を照らす月』
宣太后・芈月と義渠王の30年に及ぶ壮大な謀略 中国史上初めて「太后」の称号を得た女性、宣太后・芈月。 彼女が仕掛けた30年越しの壮大な計略は、一つの国家を滅ぼし…
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公孫衍(こうそんえん)の史実 公孫衍の合縦策はどのように生まれたのか ドラマ『ミーユエ王朝を照らす月』
公孫衍は実在した 中国ドラマ『ミーユエ』に出てくる公孫衍は、張儀とはりあって結局秦を出ていき、外交戦略をたてます。 公孫衍と張儀の外交政策が激突することになりま…
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ドラマ『ミーユエ』に描かれた秦の王位継承争い「季君の乱」の史実
紀元前307年、秦の武王が鼎を持ち上げる際の事故で突然死去しました。 後継者がいなかったため、激しい王位継承争いが勃発しました。 主な候補者は、恵文王の庶長子で…
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萧胡辇(しょうこれん)【遼代の花木蘭(ムーラン)と呼ばれた女性】ドラマ『燕雲台』と史実
ドラマ燕雲台に出てくる蕭胡輦(しょう・これん、?-1007年)。彼女は優れた女性将軍でした。中国史において、女性の軍事統帥は極めて稀な存在です。伝説の花木蘭を除…