はじめに
シルクロードを往来し、東西交易で活躍したソグド人。彼らの卓越した商才は、どのように培われたのでしょうか。今回は、ソグド人の商人気質と、アレクサンダー大王の東方遠征との関係について考えてみたいと思います。
ソグド人の商才
ソグド人は商才に優れていたことで知られています。
興味深い逸話があります。ソグド人は赤ん坊が生まれると、その口にハチミツを、手にニカワを塗ったそうです。これは「甘い言葉で商売し、一度握った金は決して離さない」という商人としての心得を、生まれたときから願う風習だったのでしょう。
安慶緒の例外
ところが、ソグド人である安慶緒は口下手だったようです。これはなぜでしょうか。
父が唐の宮廷に出入りしていたため、幼少期から漢化していた可能性があります。実は「安慶緒」という名前自体、玄宗皇帝から与えられた中国名で、本来の名前は別にあったようです。
アレクサンダー大王の東方遠征がもたらしたもの
ソグド人がこのような商人気質を持つようになった背景には、アレクサンダー大王の東方遠征が大きく影響していると考えられます。
遠征がもたらした変化
アレクサンダー大王はマケドニアを出発後、エジプト、ペルシアを経て東方へと進みました。その過程で、ソグド人女性と結婚しています。
この遠征により、以下のような変化がもたらされました。
交易路の開拓: 遠征により、各地域を結ぶ通商路が開かれました。
情報の蓄積: ソグド人はエジプト、カスピ海、小アジアとの交流を通じて、何をどこに持っていけば利益になるかという商業知識を蓄積していきました。
商人としての発展: こうした知識と経験が、ソグド人を優れた商人へと成長させていったのです。
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アレクサンダー大王の東方遠征の軌跡
若き日のアレクサンダー
アレクサンダー大王は紀元前356年、マケドニアの首都ペラに生まれました。かの有名な哲学者アリストテレスを家庭教師として勉学に励み、紀元前336年にマケドニア国王となります。
主な遠征の流れ
紀元前333年: イッソスの海戦でペルシアを破り、ダマスカスで多くの宝物を獲得しました。
紀元前332年: エジプトに入り、自分の血統がアモン神であると宣言しました。
紀元前331年: アレクサンドリアを建設。同年、ティグリス川方面に向かい、バビロンを手に入れ、莫大な富を得ました。
紀元前330年: ペルセポリスに入城。この頃から、ペルシア風の宮廷儀式を取り入れるようになりますが、これがマケドニア人やギリシア人の反発を招くことになります。
紀元前329年: ソグディアナ地方の北にアレクサンドリア・エスハテを建設。これは北部のスキタイ人を牽制するためのギリシア人入植地でした。
紀元前327年: バクトリア貴族の娘と結婚し、部下にも現地人との結婚を奨励しました。バクトリア地方はまさにソグド人の故郷です。
遠征の意義
アレクサンダー大王は行く先々で都市を建設し、ギリシア人を入植させました。これにより、ギリシア文化と東方文化の融合が進み、後のヘレニズム文化の基礎が築かれたのです。
おわりに
ソグド人の商才は、彼ら固有の文化的伝統に加えて、アレクサンダー大王の東方遠征がもたらした地域間交流の活性化によって、さらに磨かれていったと考えられます。東西を結ぶ交易路が開かれたことで、ソグド人は商業民族として大きく発展する機会を得たのです。