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潜龍在淵とは?——『三国機密』副題に込められた、龍にならなかった皇帝・劉協  

> ※「ドラマ『三国機密(Secret of Three Kingdoms)』の副題は、まさに《三国機密之潜龍在淵》。そしてこのドラマは、乾卦の龍の一生を、一人の皇帝の生き方に重ねています。おもしろいのは——彼が、龍と一緒に淵から昇っていきながら、飛龍の位に届いてもそこに固執しなかったこと。傀儡(かいらい)の皇帝から、村の医者へ。潜龍が、天ではなく、地に降りた。その意味を読み解きます。

「潜龍在淵」とは何か——易経・乾卦の、最初の龍

潜龍在淵(せんりゅうざいえん=潜龍は淵に在り)」は、『易経』の乾卦に由来する言葉です。乾卦は、龍の昇る六段階で人生と権力を描きますが、そのいちばん下、初九の爻辞(こうじ)が「潜龍、用うる勿(なか)れ」。淵の底にひそみ、まだ動くべき時ではない龍——才を秘めて、時を待つ段階です(六段階の全体は→「[易経・乾卦の龍]」)。

では、その「潜龍の徳」とは何か。乾卦の解説「文言伝」は、こう語ります。

> 龍徳ありて隠るる者なり。世に易(か)えず、名を成さず、世を遯(のが)れて悶(もん)なく、是(ぜ)とせられずして悶なし。楽しめば則ちこれを行い、憂うれば則ちこれを違(さ)る。

徳を持ちながら、あえて隠れている。世間に合わせて自分を変えず、名声を求めもしない。世を離れても心は乱れず、人に「立派だ」と認められなくても、苦しまない。道が行われる世なら進んで行い、そうでない時には、あえて退いて行わない——。認められることに、しがみつかない強さ。これが、潜龍の徳です。

ドラマ『三国機密』の潜龍——伏寿の言葉

ドラマでは、この概念が、物語の核心で効いてきます。舞台は、董承(とうしょう)の反乱が失敗に終わったあとのエピソード。

反乱は表向き失敗でしたが、じつは満寵の疑いをそらし、味方を曹操の内側へ送り込むための、捨て身の策略でした。けれど、その代償は残酷でした。長安からの逃避行にずっと従ってきた重臣・董承と、皇帝の子を身ごもった娘・董妃までを、「漢のため」と切り捨てる——。あまりの非情さに、主人公の皇帝(劉平)は、「こんな犠牲を払うなら、皇帝などやめてやる」と言って、その座を投げ出そうとします。

そのとき、皇后・伏寿(ふくじゅ)が語る言葉が、「潜龍在淵」の本質を突いています。伏寿は、彼のその「投げ出したい」という揺れを、弱さや迷いではなく、龍が淵で機を窺う姿として受けとめるのです。

> 淵に在る龍は、飛ぶか、潜むか。進むか、退くか。上ろうとしているのか、下ろうとしているのか——まだ定まらない。あなたが「皇帝をやめる」と言うのは、その定まらぬ淵の中にいるということ。それは逃げではなく、しかるべき時に大きく飛ぶための、淵の時間なのだ、と。

> 私の見立て——伏寿が見ていたのは、じつは「九四・或躍在淵」 厳密に言うと、伏寿が描くこの「飛ぶか退くか定まらない」状態は、乾卦の最初の潜龍(初九)よりも、少し上の段階——九四の「或(ある)いは躍りて淵に在り(或躍在淵)」に近いのです。淵の底でただ眠る潜龍ではなく、跳ぶ力は満ちたのに、進むか退くかを見定めている、決断の一歩手前の龍。副題は「潜龍在淵」と大きく構えつつ、物語が描くのは、この「跳ぶ直前の、揺れる龍」なのだと思います。揺れは、弱さではない。飛躍の前には、必ずこの淵がある。

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私の見立て——飛龍の位に昇っても、龍にならなかった皇帝

そして、ここからが、私がいちばん語りたいところです。

普通、龍の物語は「潜龍から飛龍へ、いかに昇りつめるか」を描きます。けれど、漢の献帝・劉協(りゅうきょう)の一生は、その逆でした。彼は、望まぬまま皇帝という「飛龍の位(九五)」に据えられた——けれど、その座に、最後までしがみつかなかった。曹丕に位を譲り、山陽公となったのち、彼が選んだのは、天下を治めることではなく、村で人の体を癒す、一人の医者になることでした(その生涯は→「[漢献帝劉協——傀儡から山陽公・医聖へ]」)。

これは、乾卦がいちばん最後に、そっと置いた智慧そのものです。六本の龍の爻のあとに、乾卦は「用九——群龍、首(かしら)無きを見る。吉なり」と記す。先頭に立とう、頂点に居座ろうとしない龍こそ、吉なのだ、と。飛龍在天のとなりには、必ず「亢龍有悔(昇りつめすぎた龍は悔いる)」が待っている。乾隆帝は、そこに固執して亢龍となり、落ちていきました(→「[乾隆帝——名君か暗君か]」)。けれど劉協は、飛龍の位に届きながら、自ら龍であることをやめた。頂点を降り、地に降り、人を癒す手になった。

天に昇るのが龍なら、あえて天に昇らず、淵にとどまることを選べる者もいる。 潜龍在淵——それは「いつか天に昇るために潜む」だけの言葉ではなく、劉協にとっては、「昇れる力を持ちながら、あえて昇らない」という、もう一つの生き方の名でもあった。よく「潜龍在淵、騰(あが)れば必ず九天」という景気のいい続き(これは後世の俗諺で、易経の本文ではありません)が添えられますが、劉協の「騰」は、玉座ではなく、医の道の方へ向かった。彼が最後に昇ったのは、天ではなく、人の命のそばだったのです。

まとめ

『三国機密』の副題《潜龍在淵》は、易経・乾卦の、時を待つ龍に由来します。ドラマは、揺れる皇帝の姿に、その淵の龍を重ねました。けれど史実の劉協は、その先で、乾卦の誰も選ばなかった道を行きます。飛龍の位を降り、群龍の首になろうとせず、村の医者になった。昇りつめることだけが龍の物語ではない——潜龍在淵という言葉は、劉協という皇帝を通して、そんな静かな真実を、私たちに教えてくれるのです。

◀ 龍の一生(理論):[易経・乾卦の龍——潜龍から亢龍まで]
◀ この皇帝の生涯:[漢献帝劉協——傀儡から山陽公・医聖へ]
◀ 同じ三国機密:[飛龍在天(天地人・七徳の武)] | [天地不仁(老子・司馬懿)] | [陛下はどこに(采薇)]
◀ 固執して落ちた龍(対照):[乾隆帝——名君か暗君か(亢龍有悔)]
◀ シリーズ一覧:清朝末期シリーズ 完全ガイドへ

 

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