アムダリア川 – 砂漠の中のオアシス
4月29日、キジルクム砂漠を抜けて、ついにアムダリア川にやってきました。砂漠の厳しい風景から一変して、川沿いは驚くほど緑豊かな光景が広がっていました。この劇的な変化を目の当たりにしたとき、紀元前に匈奴に追われた大月氏がここで定住を決め、もはや匈奴と戦う気を失ったという話が、心から理解できました。
アムダリア川を渡ると、そこはもう私がイメージしていた「アジア」ではありませんでした。どちらかというと、イラン・イラク・トルコといった中東の雰囲気に近い、異国情緒あふれる世界が待っていたのです。
英雄ジャラールッディーン・メングベルディー
川を渡ってすぐ、ジャラールッディーン・メングベルディーの騎馬像が私たちを出迎えてくれました。ウルゲンチの人々にとって、彼は今もなお色褪せることのない英雄なのです。残念ながらその時は写真を撮ることができませんでしたが、夜のイチャンカラの美しい夜景を撮影することができました。
ホラズム・シャー帝国最後の王
ジャラールッディーン・メングベルディーとは、チンギス・ハンによって滅ぼされたホラズム・シャー帝国の最後の王です。彼はモンゴルに対して徹底抗戦を続け、その勇猛さはチンギス・ハン自身に「自分の子供三人分に匹敵する男」と言わしめたほどでした。
ウィキペディアによると、彼の肖像はウズベキスタンの25スム硬貨に刻まれているとのことでしたが、現地で尋ねてみると、それは現在使われていない昔の硬貨だそうです。せっかくなので、お土産物屋さんで探してその硬貨を手に入れることができました。
ヒヴァ – イチャンカラとイシャンカラ
そしていよいよヒヴァに入りました。この古都には興味深い区分けがあります。城壁に囲まれた内側を「イチャンカラ」、城壁の外側を「イシャンカラ」と呼ぶのです。
水を持参しなければ入れない街
まずは城壁の外側、イシャンカラから見学しました。観光客が写り込んでしまいましたが、かつて隊商がこの門をくぐって中に入っていく様子が想像できます。
当時、イシャンカラに入るには水を持参することが必須でした。水が貴重だったため、外部からの訪問者は必ず水を持参し、門では記帳が義務付けられていました。状況によっては人数制限もあり、入場を拒否されることもあったそうです。今思えば、これは現代で問題となっているオーバーツーリズムを防ぐ、先進的な取り組みだったのかもしれません。
広告
クフナアルク宮殿 – 夕日の絶景スポット
イシャンカラの中に入ると、西側にクフナアルクという宮殿があります。「古い宮殿」という意味を持つこの建物群には、公邸やモスク、ハーレム、兵器庫などが含まれています。
ここの見張り台は夕日を眺める絶好のスポットとして知られており、実際に登って写真を撮影してみました。高台から眺める夕暮れのヒヴァは、まさに息をのむ美しさでした。
カルタミノル – 未完成の美しい塔
西門を入ってすぐのところに、美しいブルーの塔「カルタミノル」が立っています。この塔は「未完成のミナレット」として知られており、他のミナレットと比べて明らかに短いのが特徴です。
なぜ未完成なのかについては諸説あり、途中で建設資金が尽きたという説や、ブハラ・ハン国の王様に遠慮したからという説などがあります。
ゾロアスター教の痕跡
カルタミノルに近づいて詳しく見てみると、ゾロアスター教のマークを発見することができました。これは、中央アジアにイスラム教が伝来する以前、この地域がゾロアスター教圏だったことを物語る貴重な証拠です。
終わりに
キジルクム砂漠からアムダリア川を越えてヒヴァに至るこの旅路は、単なる地理的な移動以上の意味を持っていました。それは文明と文明の境界を越える体験であり、異なる文化や宗教が交錯してきた歴史の足跡をたどる旅でもありました。
ヒヴァの古い街並みに残る様々な文化の痕跡は、この地が古来より東西文明の十字路として栄えてきたことを雄弁に物語っています。
ジャラールッディーン・メングベルディー
イチャンカラとイシャンカラ
クフナアルク宮殿からのぞむカルタミノル