アヤズカラ・ユルタキャンプ
トプラクカラから車で30分でアヤズカラ・ユルタキャンプに到着します。
アヤズカラはここから15分歩いた山の上にあります。
なので、ここでランチ休憩です。
食事専用のユルタではなく、ガラス張りの建物の中で食事をしました。
ユルタはチュルク語、モンゴル語ではゲルのことです。
12個のユルタがあるので、複数の家族?一族で住んでいると思います。
家長なのかラニアおばさんが仕切っています。
ジャガイモとキャベツ、にんじん、お肉の煮込み料理が特に美味しかったです。
鍋では作れない美味しさの秘密は、ナンを焼く時に使う大きな釜みたいな煮込み用の釜があってそれで作っているからだそうです。
こんな砂漠の中なのだけれど、電気も水道もあり、トイレも水洗でとても綺麗です。
ラニアおばさんは、日本人が多く来ると言っていました。
ちょうどゴールデンウィークで、日本人のみなさんは車をチャーターして個人できているようでした。
星空が綺麗だからぜひ今度は夜ユルタに泊まりなさいと言われました。
ガイドさんやドライバーさんは、後で、ユルタの入り口から砂が入り込むし、虫も来て大変だよと言いました。
砂漠の大変さがわかっていなさそうな私には向いていないと思ったようです。
しかし、大丈夫な人は大丈夫だと思うので、ぜひ体験してみてください。
アヤズカラ1
ユルタから30分ほどかけてアヤズカラまで登りました。
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砂地に足を取られるので、あまり早く歩けません。
靴の中に砂が入り、靴下やズボンも砂だらけになりました。
後のツアーのために替えズボンを持って行った方が良いと思います。
私はズボンは履いているのを含めて3本持って行きましたがちょうど良かったです。
アヤズカラとは風の都という意味だそうで、風も強かったです。
紀元前4世紀から3世紀にかけてつくられ、紀元後1世紀まで城塞として使用されていたそうです。
アヤズカラ2
紀元後7世紀?
アヤズカラ1から見ました。
アヤズカラ3
アヤズカラ1の前の平原。
紀元前5から4世紀に作られ面積5ヘクタールだそうですが、よくわかりませんでした。
チルピックカラ
今回行けませんでした。
個人的に、今思えば、最も行きたかったので、よく調べてリクエストすればよかったと思います
紀元後1世紀から4世紀、ゾロアスター教時代に作られた鳥葬のために遺体をおく塔、ダフマだったそうです。
16世紀、ヒヴァ・ハン国時代は、敵国襲来の狼煙を上げる場所だったそうです。