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静嘉堂 なぜその名前にしたか「籩豆静嘉」とは

静嘉堂

静嘉堂とは、三菱二代社長・岩崎彌之助によって建てられた美術館です。

若い頃から美術品に関心を持っていた彌之助は、

明治維新後の急速な西欧化の中で東洋の文化財を散逸させてはならないという使命感で蒐集を続け、

没後そのコレクションと事業は息子で四代社長の小彌太に受け継がれます。

名前が気になったので調べてみました

静嘉は『詩経』にある「籩豆静嘉」(へんとうせいか)から

「静嘉」とは、中国の古典『詩経』にある「籩豆静嘉」(へんとうせいか)の句から採られた言葉で、

「祖先の霊前への供物が立派に整うこと」という意味だそうです

籩豆静嘉とは、お供物が静かに置かれ、凛として美しく見えるというもの

礼器の中の食べ物が清潔で美しい状態であること

実際の籩豆とは

籩豆は、古代中国で儀式や宴会によく使われた2つの儀式用容器のことです。

竹製のものは、木製のものは豆と呼びます。

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籩とは竹製の高足器、丸い口の浅い皿で、

ドライフルーツ、乾燥肉、汁のないその他の食品を入れる専用である。

豆とは、はほとんどが木製(陶器、銅製のものもある)で、

足の高い皿のような形をしており、ソースのついた肉、漬物など湿ったものを入れるのに使われました。

籩豆は礼儀も意味する

籩豆は実用的な道具であるだけでなく、礼儀作法の象徴にもなっています

『論語』によれば、「籩豆あれば之を納むる課あり」、

籩豆を管理する専属のスタッフが必要であることを強調し、

儀礼を厳格に行うことの重要性を述べています

清代の『桃花扇』では、司笾籩豆といい

文人が伝統を堅持すること、文化を継承することのたとえになっています。

なぜ静嘉堂と名付けたのか

ここからは、私の推測ですが、小彌太は

岩崎彌之助や、その先祖たちに

礼儀を持って厳格に敬意を現したかったから

そしてまた、しっかりと伝統を継承していきたいと思ったからだと思います。

 

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