※本サイトは、アフィリエイト広告を利用し収益を得て運営しています

知られざる美術館名の深い意味:静嘉堂文庫美術館の「静嘉」に込められた岩崎家の文化継承への想い

美術館を訪れる時、その名前の由来について考えたことはありますか?

東京・丸の内にある静嘉堂文庫美術館の「静嘉堂」という名前には、

実は中国古典文学に根ざした深遠な意味と、

創設者である岩崎家の崇高な理念が込められているのです。

「静嘉」の語源:詩経「籩豆静嘉」から

静嘉堂の「静嘉」は、中国最古の詩集『詩経』の「大雅・既醉」にある「籩豆静嘉」(へんとうせいか)という句から取られています。

  • : 清らかで穏やか
  • : 美しく優れている

籩豆とは何か

**籩(へん)豆(とう)**は、古代中国の祭祀や儀式で使用された供物台です。

  • :竹製の高足器で、ドライフルーツや乾燥肉など汁のない食品を盛る
  • :主に木製(陶器や銅製もある)の足付き皿で、ソースのついた肉や漬物など湿った食品を盛る

「籩豆静嘉」の意味

この四文字熟語は「祖先の霊前への供物が静かに置かれ、凛として美しく整っている状態」を表現しています。

転じて、礼儀作法が正しく美しく行われていること

文化的営みが清らかで品格ある状態を意味する言葉となりました。

岩崎家が「静嘉堂」に込めた想い

明治維新期の文化的危機感

三菱二代社長・岩崎彌之助(やのすけ)が本格的に美術品収集を始めた明治中期、

日本は急速な西欧化の波に晒されていました。

多くの貴重な文化財が海外に流出する中、

彌之助は東洋文化の散逸を防ぐという強い使命感を抱いていました。

三代にわたる文化保護への取り組み

岩崎彌太郎(初代):事業基盤の確立

岩崎彌之助(二代):文化財収集の本格化と理念の形成

広告

岩崎小彌太(四代):静嘉堂文庫の設立(1892年)と体系的整備

なぜ「静嘉堂」と名付けたのか

小彌太が「静嘉堂」という名前を選んだ背景には、以下の想いがあったと考えられます:

  1. 先祖への敬意:岩崎彌之助や先祖たちに対して、礼儀を持って厳格に敬意を表したい
  2. 伝統継承への決意:籩豆が象徴する「礼儀」「文化継承」の精神を、美術館運営の理念としたい
  3. 神聖な空間の創造:文化財を単なる所有物としてではなく、「祭祀」の場として大切に守りたい

籩豆が象徴する「礼儀」と「文化継承」

籩豆は実用的な器具であるだけでなく、礼儀作法と文化継承の象徴でもありました。

『論語』では「籩豆あれば之を納むる課あり」として、

儀礼を厳格に行うことの重要性が説かれています。

また清代の『桃花扇』では「司笾籩豆」として、

文人が伝統を堅持し、文化を継承することのたとえとして使われています。

現代に受け継がれる「静嘉」の精神

2022年に丸の内に移転した現在の静嘉堂文庫美術館においても、

この「籩豆静嘉」の精神は脈々と受け継がれています。

国宝7件、重要文化財84件を含む約20万点のコレクションは、

まさに「清らかで美しい文化継承の場」として大切に保管・展示されています。

おわりに:館名に込められた深い想いを胸に

静嘉堂文庫美術館を訪れる際は、ぜひこの館名の由来を思い出してください。

激動の時代において東洋文化の価値を信じ、後世に伝えようとした岩崎家の崇高な理念。

そして「籩豆静嘉」という古典の言葉に託された、文化への深い敬意と継承への強い意志。

展示されている一つひとつの作品が、まさに現代における「籩豆」として、

私たちに文化の尊さを静かに、そして美しく語りかけているのです。

 

広告

中国ドラマ

広告