はじめに
天智天皇という名前は、実は死後に壬申の乱の勝者である天武天皇によって贈られた諡(おくりな)です。
この諡号には、単なる敬称以上の深い意味が込められている可能性があります。
中国古典の知識と照らし合わせることで、日本古代史の新たな解釈が見えてくるのです。
天智玉とは何か
天智の名前の由来と考えられる「天智玉」は、熱を持たない翡翠の一種です。その特徴は:
- 熱伝導率が非常に低い石
- 採掘量は極めて少なく、非常に貴重
- 中国古代文献によれば、周の武王が初めて見たとされる
紂王の最期と天智玉
この天智玉が歴史上最も有名に登場するのは、悪名高い殷王朝最後の王・紂王の最期の場面です。
紂王は宮殿に火を放つ際、天智玉を体に巻きつけて死を選びました。
熱くて苦しむのを避けるためだったと考えられますが、実際には体は冷えても熱い気体を吸い込むため、
苦痛は避けられなかったでしょう。
しかし重要なのは、この行為が「暴君の最期」として中国史に刻まれたことです。
中国古典における「天智」の意味
中国古代の文献では、「天智」には二つの相反する意味があります:
①天賦の才能
- 学問や経験では得られない生まれながらの素養
- 『韓非子』では、人間の見る・聞く・考える能力も生来の素質に左右されるとしている
②紂王と結びついた負の象徴
- 「殷の紂王は天智玉を五つ取り、体に厚く輪を作り、身を焼いた」
- 貴重で美しいが、暴君と結びついた石
諡号「天智」に込められた真の意味
天武天皇が兄に「天智」という諡を贈ったとき、そこには複雑な評価が込められていたのではないでしょうか:
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肯定的評価:生まれながらに並外れた才能があった
否定的評価:しかし紂王のような残虐さもあった
つまり、天武天皇(周の武王に相当)によって天智天皇(紂王に相当)が倒されたという構図を暗示している可能性があります。
易姓革命と王朝交代説
ここで一つの大胆な仮説が浮かび上がります。
中国には「易姓革命」という考え方があります。
これは、徳を失った王朝は天命により新たな王朝に取って代わられるという思想です。
もし天智天皇と天武天皇が実際には血縁関係になく、
壬申の乱が単なる皇位継承争いではなく 王朝交代 だったとしたらどうでしょうか?
仮説の根拠
- 両天皇の諡号が中国の王朝交代(殷→周)を暗示している
- 壬申の乱の規模と性質が単なる皇位継承争いを超えている
- その後の政治体制の大幅な変化
系譜の改竄説
王朝交代という事実は政治的に都合が悪いため、
後に家系図を書き換えて兄弟関係に仕立て上げた可能性があります。
これにより皇統の連続性を保ったのかもしれません。
おわりに
この説は推測の域を出ませんが、諡号という形で残された手がかりは無視できません。
天智・天武両天皇の諱が示唆する中国古典との関連性は、
日本古代史の新たな解釈の可能性を提示しているように思います。
注:この記事の内容は歴史的仮説であり、学術的定説ではありません。