中国の人気時代劇『大唐栄耀』が日本で放送された際、『麗王別姫〜花散る永遠の愛〜』という邦題がつけられました。しかし、この「麗王別姫」という言葉を調べても、ホテルの名前しか出てこず、中国の歴史や文学における出典が見当たりません。一体この不思議なタイトルはどこから来たのでしょうか?
「麗王」は存在しない?翻訳の謎
「麗王」という言葉を中国史で調べても、該当する歴史上の人物や概念は見つかりません。これは以下の二つの可能性が考えられます:
可能性1:「覇王」の誤訳または意訳
中国で広く知られる「覇王別姫」の「覇王」を、何らかの理由で「麗王」と変更した可能性があります。
可能性2:創作的な造語
美男子の王が愛する姫に別れを告げるという『大唐栄耀』のストーリーラインに合わせ、「覇王別姫」の構造を踏襲しつつ、「美しい王」という意味を込めて「麗王」という造語を作った可能性があります。
本家「覇王別姫」とは何か
「麗王別姫」を理解するには、まず本家である「覇王別姫」を知る必要があります。
覇王・項羽とは
「覇王」とは、紀元前3世紀末、秦の滅亡後に西楚の覇王として君臨した項羽のことを指します。項羽は中国史上最も伝説的な武将の一人で、その並外れた武勇と英雄的精神で知られています。彼は最終的に劉邦(後の漢の高祖)に敗れますが、その悲劇的な最期は後世に語り継がれる物語となりました。
垓下の戦いと虞美人の自害
「覇王別姫」の物語は、紀元前202年の垓下の戦いを舞台にしています。
劉邦の軍師・韓信に完全に包囲された項羽は、兵力も物資も尽き果てた絶望的な状況に陥りました。そんな夜、突然四方八方から楚の歌声が聞こえてきます。項羽は「楚はすでに陥落したのか」と勘違いし、軍の士気は完全に崩壊しました。(これが「四面楚歌」の由来です)
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項羽の悲痛な歌
この絶望的な状況で、項羽は愛する側室・虞姫と共に別れの酒を酌み交わし、胸を打つ歌を詠みました:
力拔山兮氣蓋世
時不利兮騅不逝
騅不逝兮可奈何
虞兮虞兮奈若何
「この力は山をも引き抜き、この気迫は天下を覆うほどだった
しかし今や時の運は尽き、愛馬の騅さえも動こうとしない
騅が進まぬこの状況を、私はどうすることもできない
ああ虞美人よ、虞美人よ、お前をこれからどうしてやればいいのか」
虞姫の決断
項羽の言葉を聞いた虞姬は、自分が項羽の逃亡の妨げになることを恐れ、剣を取って自害しました。
この悲劇的な場面は、中国文学史における最も美しく悲しい別離の物語として、2000年以上経った今も人々の心を打ち続けています。
『大唐栄耀』と「麗王別姫」
『大唐栄耀』は唐代を舞台にした宮廷ロマンス時代劇です。「麗王別姫」という邦題は、おそらくこの「覇王別姫」の構造と悲劇性を借りながら、美しい王(李俶なのか安慶緒なのか)と沈珍珠の切ない別れを表現しようとしたものと思われます。
「覇王」という言葉は武力と権力を象徴しますが、「麗王」という造語は美しさと優雅さを強調することで、唐代の華やかな宮廷文化と悲恋のイメージをより効果的に日本の視聴者に伝えようとした翻訳者の工夫だったのかもしれません。
まとめ
「麗王別姫」は中国の古典に由来する言葉ではなく、日本での放送に際して作られた造語である可能性が高いです。
しかし、その背後には2000年以上前から語り継がれる「覇王別姫」という壮大な愛の物語があります。
項羽と虞姫の悲劇的な別れは、時代と文化を超えて、今もなお新しい物語にインスピレーションを与え続けているのです。



