はじめに
三国志の中でも特に心を打つ場面の一つが、曹操と荀彧の決別である。長年の盟友であり、曹操の天下統一事業を支え続けてきた荀彧が、最終的に主君と袂を分かつことになった経緯は、古典文学における友情と忠誠の複雑さを物語る名場面でもある。
真相の発覚と疑念の芽生え
伏寿皇后が荀彧に先帝の血文字の詔を見せ、事の真相を打ち明けたとき、荀彧はすべてを悟った。先帝の屈辱と劉平らの苦悩を理解し、漢王朝の真の状況を知ることになったのである。
しかし、この密談は曹丕によって曹操に報告された。曹丕は荀彧が陛下と二人きりで会っていることを告げ、「油断大敵」だと忠告したのである。この報告が、長年の信頼関係に亀裂を生むきっかけとなった。
「白頭如新」- 長年の友情への痛烈な皮肉
曹操は信頼していた荀彧が漢王朝側に味方したのではないかと憤りを感じた。そして荀彧に対して「白頭如新」(bái tóu rú xīn)という言葉を投げかけた。
この『史記』に由来する成語は、「白髪頭になるまで長く交際しても、新しく知り合ったかのように心を許し合えず、相手の心がわからない」という意味である。長年共に歩んできた二人の関係が、一瞬にして見知らぬ他人同士のようになってしまったことを表現した、痛烈な皮肉であった。
「道不同不相為謀」- 荀彧の最後の答え
荀彧は曹操の言葉に対して、『論語』の「道不同不相為謀」(dào bù tóng bù xiāng wéi móu)で応えた。
道 同じからざれば 相 為に謀らず
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「道が同じでないと、どうしても意見が異なることとなり、いっしょに何かを計画していくことができない」という意味のこの言葉は、荀彧の心境を端的に表している。
埋められない溝
ドラマ三国機密では、荀彧は報告書を起草していたが、筆が進まず木簡に墨を落としていた。伏完の反乱を知っていながらも、告げ口するような人柄ではなかった荀彧。しかし猜疑心に捕らわれた曹操には、漢王朝側に寝返った裏切り者と映ってしまったのである。
かつて同じ志を追い求めていた頃から時が経ち、荀彧はもはや曹操の志についていけなくなっていた。自分が何を書くべきか、何をするべきかもわからなくなった荀彧は、最終的に身を引く(自殺)という道を選ぶことになる。
悲痛な別れの言葉
荀彧の最後の言葉は、二人の関係の変化を物語っている:
今日之曹公 早就不再需要 当初的文若了
今の曹様には、あの頃の文若(荀彧の幼名)は不要なのですね今当远别
これでお別れです阿瞒 珍重
阿瞒(曹操の幼名)、お体を大切に
幼名で呼び合った親しい関係から、最後は敬語で距離を置いた別れ。この対比が、二人の関係の変遷を象徴的に表している。
おわりに
曹操と荀彧の決別は、政治的立場の違いを超えた人間関係の複雑さを描いている。長年の友情も、時代の流れと価値観の相違によって破綻することがある。「白頭如新」と「道不同不相為謀」という古典の名句は、この悲劇的な別れを文学的に昇華させ、後世に深い印象を残している。