> ※この記事は「草原の帝国」シリーズの、いちばん上流(源頭)にあたる一篇です。回鶻(→「[回鶻の歴史]」)よりさらに四百年さかのぼり、草原を初めて一つに束ねた男——匈奴の冒頓単于(ぼくとつぜんう)から始めます。彼が打ち立てた型(意志の統一、realist の計算、中華に貢がせる外交)は、突厥にも、回鶻にも、そして遼にも、千年を超えて受け継がれていきました。
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はじめに——草原を変えた一人の男
紀元前三世紀、中国北方の草原で、一人の男が歴史を変えました。冒頓単于(?〜紀元前174年)。北方草原を初めて統一し、漢王朝をも脅かす巨大な匈奴帝国を築いた人物です。彼の物語は、のちのあらゆる草原帝国の、原型となりました。
血塗られた即位
父に捨てられた皇子。 冒頓は、匈奴の単于・頭曼(とうまん)の長子でした。
けれど父は、寵愛する側室の産んだ幼い子を後継にしようと、冒頓を西の月氏(げっし)へ人質に送り、その直後に月氏を攻めます。
これは事実上、息子を月氏の手で殺させようとする企てでした。月氏は当然、人質の冒頓を殺そうとしますが、彼は機転で月氏の良馬を盗み、匈奴へ駆け戻ったのです。
鳴鏑——忠誠を鍛える、恐ろしい訓練。 帰った冒頓は、鳴鏑(なりかぶら=音の出る矢)を作り、騎兵にこう命じます。
「私が鳴鏑を射た的を、ためらわず全員で射よ。射ぬ者は斬る」と。そして試しました。
まず自分の愛馬を射る——ためらった者を斬る。
次に自分の愛妻を射る——ためらった者を斬る。
次に父・頭曼の良馬を射る——もう誰もためらわない。
こうして「冒頓が射れば、全員が必ず射る」軍を作り上げた彼は、狩りの場で父・頭曼を鳴鏑で射殺し、紀元前209年、単于に即位しました。
続いて継母・弟・従わぬ大臣たちを、ことごとく粛清します。
> これは「意志の中央集権」だった 鳴鏑の訓練の本質は、ばらばらの戦士たちを、一つの意志のもとに束ねることでした。
草原の民は本来、各自が自由で、強い者にしか従わない。その分権の民を、「指導者が射れば全員が射る」一つの体に変える
——これこそ、のちの遼で[耶律阿保機]が世襲化に苦しみ、[蕭燕燕]が中央集権で完成させた、あの課題のいちばん古い解答でした。冒頓は、それを矢と恐怖で成し遂げたのです。
耐え忍ぶ戦略家——東胡を、欺く
即位後の冒頓は、意外にも弱腰に見える手を打ちます。
東の強国・東胡(とうこ)が、足元の不安定さにつけ込み、冒頓の千里の名馬を要求してきた。大臣は反対しましたが、冒頓は「馬一頭を惜しんで隣国と事を構えるな」と、あっさり与えます。調子に乗った東胡は、次に冒頓の閼氏(あつし=后)を要求。大臣は激怒しましたが、冒頓はまた「女一人のことだ」と与えてしまう。
> 馬と女は、惜しまず手放す。けれど、その裏で冒頓は着実に軍備を固め、東胡を油断させていました。
まさに臥薪嘗胆。小さなものは惜しまず与えて相手を慢心させ、決定的な一点で牙を剥く
——これは、このシリーズで何度も見た realist の計算です(→「[尉繚]」、ウイグルの「[葛勒可汗]」)。冒頓は、その草原における原型でした。
反撃——「土地は、国の本である」
ついに東胡は、両国のあいだの緩衝地帯(誰も住まぬ国境の地)まで要求してきました。大臣のなかには「どうせ使わぬ土地、与えてしまえ」と言う者もいた。その瞬間、冒頓は本性を現します。
「土地は、国家の本(もと)である。それを、どうして与えられようか」
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——そう言って、「与えよ」と進言した家臣を斬り、絶対の忠誠を誓う者だけを残して、東胡へ奇襲をかけました。油断しきった東胡王はなすすべもなく、その軍は全滅。冒頓は東胡の民と家畜を、根こそぎ手にしました。
草原の覇者へ
この勝利を皮切りに、冒頓は征服を重ねます。西の月氏を撃って河西回廊から追い払い(西方への大移動を強いる)、楼蘭・烏孫・呼揭(こけつ)ら二十六国を従えて、西域の大半を支配下に置きました。
その版図は、南は秦の長城(陰山山脈)から、北はバイカル湖、東は遼河、西はパミール高原まで。弓を引く戦士三十万騎を擁する、草原史上初の超大国が、ここに出現したのです。
漢王朝との対峙
白登山の屈辱(紀元前200年)。 漢の武将・韓王信が叛いて匈奴に亡命すると、冒頓は好機と南下し、太原から晋陽へ迫ります。
漢の高祖・劉邦みずから大軍で出撃しますが、冒頓は弱兵を見せて誘い込み、白登山で四十万騎をもって劉邦を包囲。七日間封じ込めました。
劉邦は陳平の秘策でからくも脱出し、以後、漢は和親(わしん)——皇女を単于に嫁がせ、貢ぎ物を贈って和を請う——という屈辱的な政策を取らざるを得なくなります。
呂后への侮辱。 紀元前195年に劉邦が死ぬと、冒頓は皇后・呂后に「互いに独り身、慰め合おうではないか」という侮辱の書を送りつけます。呂后は激怒し、使者を斬って出兵しようとしますが、臣下の季布(きふ)が「いま匈奴と戦える力はない」と諫めて止めた。結局、漢は再び和親の公主と贈り物を送って、事を収めるほかありませんでした。
> これが、澶淵の盟の原型だった ここに、私がいちばん惹かれる糸があります。強大な中華帝国が、草原の遊牧国家に、皇女と財物を贈って平和を買う
——この「和親」の構図は、千年以上のちの澶淵の盟(→「[澶淵の盟と蕭燕燕の中央集権]」)で、宋が遼に歳幣を毎年贈ったのと、まったく同じ形です。
冒頓が劉邦から引き出した和親は、その後の中華と草原の関係の、最初の鋳型でした。蕭燕燕が宋から歳幣を勝ち取ったとき、彼女は知ってか知らずか、冒頓が一千年前に作った型を、なぞっていたのです。
歴史に残る英雄か、それとも
冒頓単于は、卓越した軍事指導者でした。父に捨てられ、隣国に侮られながら、最後は草原を統一し、中華帝国をも脅かす大帝国を築いた手腕は、見事という他ありません。一方で、父や妻まで手にかけた冷酷さ、征服にともなう略奪と殺戮など、現代の価値観では到底受け入れがたい面も持っています。
英雄か、冷血漢か。その評価は分かれるでしょう。けれど確かなのは
——冒頓が草原に刻んだ型(一つの意志に束ねる統一、小を与え大を奪う計算、中華に貢がせる外交)は、突厥・回鶻・契丹へと受け継がれ、千年の草原史を貫いたということです。草原の帝国の物語は、すべて、この男から始まったのです。
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